も知れない」と云って宗助は笑っていた。会話はそれなりでつい発展せずにしまった。
越えて三日目の夕方に、小六はまた飯時《めしどき》を外《はず》して帰って来なかった。しばらく待ち合せていたが、宗助はついに空腹だとか云い出して、ちょっと湯にでも行って時間を延ばしたらという御米の小六に対する気兼《きがね》に頓着《とんじゃく》なく、食事を始めた。その時御米は夫に、
「小六さんに御酒を止《や》めるように、あなたから云っちゃいけなくって」と切り出した。
「そんなに意見しなければならないほど飲むのか」と宗助は少し案外な顔をした。
御米はそれほどでもないと、弁護しなければならなかった。けれども実際は誰もいない昼間のうちなどに、あまり顔を赤くして帰って来られるのが、不安だったのである。宗助はそれなり放っておいた。しかし腹の中では、はたして御米の云うごとく、どこかで金を借りるか、貰うかして、それほど好きもしないものを、わざと飲むのではなかろうかと疑ぐった。
そのうち年がだんだん片寄って、夜が世界の三分の二を領《りょう》するように押しつまって来た。風が毎日吹いた。その音を聞いているだけでも生活《ライフ》に陰気な響を与えた。小六はどうしても、六畳に籠《こも》って、一日を送るに堪《た》えなかった。落ちついて考えれば考えるほど、頭が淋《さむ》しくって、いたたまれなくなるばかりであった。茶の間へ出て嫂《あによめ》と話すのはなお厭《いや》であった。やむを得ず外へ出た。そうして友達の宅《うち》をぐるぐる回って歩いた。友達も始のうちは、平生《いつも》の小六に対するように、若い学生のしたがる面白い話をいくらでもした。けれども小六はそう云う話が尽きても、まだやって来た。それでしまいには、友達が、小六は、退屈の余りに訪問をして、談話の復習に耽《ふけ》るものだと評した。たまには学校の下読《したよみ》やら研究やらに追われている多忙の身だと云う風もして見せた。小六は友達からそう呑気《のんき》な怠けもののように取り扱われるのを、大変不愉快に感じた。けれども宅に落ちついては、読書も思索も、まるでできなかった。要するに彼ぐらいの年輩の青年が、一人前の人間になる階梯《かいてい》として、修《おさ》むべき事、力《つと》むべき事には、内部の動揺やら、外部の束縛やらで、いっさい手が着かなかったのである。
それでも冷たい雨が
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