入って、大分御無沙汰をして、それから外国に行きまして、外国から帰って来て、復《ま》た此校《ここ》へ這入った。故郷へ錦《にしき》を着るというほどでもないが、まあ教師になって這入った。そうして初めて教えたのが、今いう安倍能成君らであります。此校《ここ》を出て、大学を出て、諸方を迂路《うろ》ついている時に教えたのが、此処《ここ》にいる速水君であります。速水君を教える時分は熊本で教員生活をしておった時で漂泊生《ひょうはくせい》でありました。速水君を教えていた時分は偉くなかった、あるいは偉い事を知らなかったか、どっちかでしょう。とにかく速水君を教えた事は確かであります。形式的に。無論偉くない人だから本統《ほんとう》に啓発するほど教えなかったが、教場に立って先生と呼ばれ、生徒と呼んだことは確かにある。なお自白すれば、熊本に来たてであります。私の前に誰か英語を受持っておって、私はその後を引受けた。エドマンド・バークの何とかいう本でありますが、それは私の嫌《きらい》な本です。これ位解らない本はない。演説でも英吉利《イギリス》人が解るものならば日本人が字引を引いて解らないことはないはずである。が、実際解らない本です。その解らない物を教えた時に丁度速水君が生徒だったから、偉くない偉くないという考えが何時《いつ》までも退《の》かないのかも知れません。それでその後英語も大分教えて年功《ねんこう》を積みましたが、速水君に断りますが、その後発達した今日の私の英語の力でも、あのバークの論文はやはり解らない。嘘だと思うなら速水君があれを教えて御覧になれば直《す》ぐ分る。――こんな下らない事を言って時間ばかり経って御迷惑でありましょうが、実は時間を潰すために、そういう事を言うのであります。大した問題もありませんから。
それで、先刻演題という話でしたが、演題というようなものはないから、何か好加減《いいかげん》に一つ題は貴方がたの方で後で拵《こしら》えて下さい。チョッと複雑過ぎて簡単な題にならんような高尚な事なんだろうと思う。何か御話しようと思いましたが、実は先刻申上げたような訳で、時間もなし、今日も人が来ますし、チッとも考えられない。それだからいう事は余り大した事ではありません。が、もう少しの間、極《ご》く雑《ざっ》としたところを御話して御免|蒙《こうむ》る事にしましょう。
私はこの間《あいだ》文展《ぶんてん》を見に行きました。(私は御存知の通り、職業が職業ですから、御話する事は一般の事でも、あるいは文芸ということが例になったり、またその方から出立《しゅったつ》する事が多いかも知れませんから、その方に興味のない方《かた》には御気の毒ですが、まあ仕方がない、御聴きを願います。)で、今申しましたように、この間《あいだ》文展を見に行きました。それで文展を見てチョッと感じました。どうも私は文部省の展覧会に反対をしたり、博士を辞したり、甚《はなは》だ文部省に受けが悪い人間でありますが今度の文展も公《おおやけ》には書きませんでしたが、どうも大変面白くありませんでした。殊に私は日本画の方で、まあそうだと思います。西洋画の方についてもいえばいえますが、その方は後にして置いて、日本画の方について申します。
一向《いっこう》面白くなかった。あの画の内どれを見ても面白くない。中には例外はありますけれども、どれを見ても面白くない。唯面白くないといっても分らぬから、訳をいわなくちゃならんが、どれを見てもノッペリしている。ノッペリしているという意味は御手際《おてぎわ》が好いというので、褒《ほ》めているのかといえば、そうではない。悪く言う意味で、御手際が大変好いのです。言葉を換えていえば、腕力はある、腕の力はある。それじゃ何処が悪いかと言えば、頭がない。頭がなくて手だけで描いている。職人見たようなものである。そうまでいうと御気の毒だから、それだけは公にしません。――これだけ公にしていれば沢山だが――私は別に画家や文展の非難を遣《や》っているのではありません、画家を個人的に悪口を言っている訳ではありません。ただ感じた事についてチョッと必要だから申すのでありますが、唯ノッペリとしている。例えばシミ[#「シミ」に傍点]がなく、マダラ[#「マダラ」に傍点]がなく、ムラ[#「ムラ」に傍点]がなく、仕上げが綺麗に出来ている。ああいう手際というものは、丁稚奉公《でっちぼうこう》をして五年十年|遣《や》らなければ出来ないでしょうけれども、それ以外に何かあるかと聞かれても、私には分らない。丁度人間でいいますと、やはり紳士というものに能《よ》く似ていると思う。紳士とはどんな者かというと、紳士というものは、唯ノッペリしている。顔ばかりじゃありません。マナーが――態度及び挙止動作《きょしどうさ》が――ノッペリ
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