両手で持ちながら、見物人を見廻した。
「諸君僕がこの袋の中から玉子を出す。この空《から》っぽうの袋の中からきっと出して見せる。驚ろいちゃいけない、種は懐中にあるんだから」
彼はこの種の人間としてはむしろ不相応なくらい横風《おうふう》な言葉でこんな事を云った。それから片手を胸の所で握って見せて、その握った拳《こぶし》をまたぱっと袋の方へぶつけるように開いた。「そら玉子を袋の中へ投げ込んだぞ」と騙《だま》さないばかりに。しかし彼は騙したのではなかった。彼が手を袋の中へ入れた時は、もう玉子がちゃんとその中に入っていた。彼はそれを親指と人さし指の間に挟《はさ》んで、一応半円形をかたちづくっている見物にとっくり眺めさした後で地面の上に置いた。
津田は軽蔑《けいべつ》に嘆賞を交えたような顔をして、ちょっと首を傾けた。すると突然|後《うしろ》から彼の腰のあたりを突っつくもののあるのに気がついた。軽い衝撃《ショック》を受けた彼はほとんど反射作用のように後《うしろ》をふり向いた。そうしてそこにさも悪戯小僧《いたずらこぞう》らしく笑いながら立っている叔父の子を見出した。徽章《きしょう》の着いた制帽と、半洋袴《はんズボン》と、背中にしょった背嚢《はいのう》とが、その子の来た方角を彼に語るには充分であった。
「今学校の帰りか」
「うん」
子供は「はい」とも「ええ」とも云わなかった。
二十二
「お父さんはどうした」
「知らない」
「相変らずかね」
「どうだか知らない」
自分が十《とお》ぐらいであった時の心理状態をまるで忘れてしまった津田には、この返事が少し意外に思えた。苦笑した彼は、そこへ気がつくと共に黙った。子供はまた一生懸命に手品遣《てずまつか》いの方ばかり注意しだした。服装から云うと一夜《いちや》作りとも見られるその男はこの時精一杯大きな声を張りあげた。
「諸君もう一つ出すから見ていたまえ」
彼は例の袋を片手でぐっと締扱《しご》いて、再び何か投げ込む真似《まね》を小器用にした後《あと》、麗々《れいれい》と第二の玉子を袋の底から取り出した。それでも飽《あ》き足らないと見えて、今度は袋を裏返しにして、薄汚ない棉《めん》フラネルの縞柄《しまがら》を遠慮なく群衆の前に示した。しかし第三の玉子は同じ手真似と共に安々と取り出された。最後に彼はあたかも貴重品でも取扱うよ
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