所《おち》だったのか。馬鹿奴《ばかめ》、そう貴様の思わく通りにさせてたまるものか」
 彼は傷《きずつ》けられた自分のプライドに対しても、この不名誉な幕切《まくぎれ》に一転化を与えた上で、二人と別れなければならないと考えた。けれどもどうしたらこう最後まで押しつめられて来た不利な局面を、今になって、旨《うま》くどさりと引繰《ひっく》り返す事ができるかの問題になると、あらかじめその辺の準備をしておかなかった彼は、全くの無能力者であった。
 外観上の落ちつきを比較的平気そうに保っていた彼の裏側には、役にも立たない機智の作用が、はげしく往来した。けれどもその混雑はただの混雑に終るだけで、何らの帰着点を彼に示してくれないので、むらむらとした後《あと》の彼の心は、いたずらにわくわくするだけであった。そのわくわくがいつの間《ま》にか狼狽《ろうばい》の姿に進化しつつある事さえ、残念ながら彼には意識された。
 この危機一髪という間際に、彼はまた思いがけない現象に逢着《ほうちゃく》した。それは小林の並べた十円紙幣が青年芸術家に及ぼした影響であった。紙幣の上に落された彼の眼から出る異様の光であった。そこには驚ろきと喜びがあった。一種の飢渇《きかつ》があった。掴《つか》みかかろうとする慾望の力があった。そうしてその驚ろきも喜びも、飢渇も慾望も、一々|真《しん》その物の発現であった。作りもの、拵《こしら》え事、馴《な》れ合《あ》いの狂言とは、どうしても受け取れなかった。少くとも津田にはそうとしか思えなかった。
 その上津田のこの判断を確めるに足る事実が後《あと》から継《つ》いで起った。原はそれほど欲しそうな紙幣《さつ》へ手を出さなかった。と云って断然小林の親切を斥《しり》ぞける勇気も示さなかった。出したそうな手を遠慮して出さずにいる苦痛の色が、ありありと彼の顔つきで読まれた。もしこの蒼白《あおじろ》い青年が、ついに紙幣《さつ》の方へ手を出さないとすると、小林の拵《こしら》えたせっかくの狂言も半分はぶち壊《こわ》しになる訳であった。もしまた小林がいったん隠袋《ポケット》から出した紙幣を、当初の宣告通り、幾分でも原の手へ渡さずに、再びもとへ収めたなら、結果は一層の喜劇に変化する訳であった。どっちにしても自分の体面を繕《つくろ》うのには便宜《べんぎ》な方向へ発展して行きそうなので、そこに一縷《いちる
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