それでも少し金が溜《たま》ったと見えるな。あの風船玉が、じっと落ちつけるようになったのは、全く金の重みのために違ない」
しかし金の重みのいつまで経《た》ってもかからない彼自身は、最初から動かなかった。彼は始終《しじゅう》東京にいて始終貧乏していた。彼はいまだかつて月給というものを貰った覚《おぼえ》のない男であった。月給が嫌いというよりも、むしろくれ手がなかったほどわがままだったという方が適当かも知れなかった。規則ずくめな事に何でも反対したがった彼は、年を取ってその考が少し変って来た後《あと》でも、やはり以前の強情を押し通していた。これは今さら自分の主義を改めたところで、ただ人に軽蔑《けいべつ》されるだけで、いっこう得《とく》にはならないという事をよく承知しているからでもあった。
実際の世の中に立って、端的《たんてき》な事実と組み打ちをして働らいた経験のないこの叔父は、一面において当然|迂濶《うかつ》な人生批評家でなければならないと同時に、一面においてははなはだ鋭利な観察者であった。そうしてその鋭利な点はことごとく彼の迂濶な所から生み出されていた。言葉を換《か》えていうと、彼は迂濶の御蔭《おかげ》で奇警《きけい》な事を云ったり為《し》たりした。
彼の知識は豊富な代りに雑駁《ざっぱく》であった。したがって彼は多くの問題に口を出したがった。けれどもいつまで行っても傍観者の態度を離れる事ができなかった。それは彼の位地《いち》が彼を余儀なくするばかりでなく、彼の性質が彼をそこに抑《おさ》えつけておくせいでもあった。彼は或頭をもっていた。けれども彼には手がなかった。もしくは手があっても、それを使おうとしなかった。彼は始終|懐手《ふところで》をしていたがった。一種の勉強家であると共に一種の不精者《ぶしょうもの》に生れついた彼は、ついに活字で飯を食わなければならない運命の所有者に過ぎなかった。
二十一
こういう人にありがちな場末生活《ばすえせいかつ》を、藤井は市の西北《にしきた》にあたる高台の片隅《かたすみ》で、この六七年続けて来たのである。ついこの間まで郊外に等しかったその高台のここかしこに年々《ねんねん》建て増される大小の家が、年々彼の眼から蒼《あお》い色を奪って行くように感ぜられる時、彼は洋筆《ペン》を走らす手を止《や》めて、よく自分の兄の身の上を
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