れて来たんでしょう」
「そりゃおれにかけ合ったって駄目《だめ》だ。京都にいるお父さんかお母さんへ尻《しり》を持ち込むよりほかに、苦情の持ってきどころはないんだから」
苦笑したお延はまだ黙らなかった。
「いいから、今に見ていらっしゃい」
「何を」と訊《き》き返した津田は少し驚ろかされた。
「何でもいいから、今に見ていらっしゃい」
「見ているが、いったい何だよ」
「そりゃ実際に問題が起って来なくっちゃ云えないわ」
「云えないのはつまりお前にも解《わか》らないという意味なんじゃないか」
「ええそうよ」
「何だ下らない。それじゃまるで雲を掴《つか》むような予言だ」
「ところがその予言が今にきっとあたるから見ていらっしゃいというのよ」
津田は鼻の先でふんと云った。それと反対にお延の態度はだんだん真剣に近づいて来た。
「本当よ。何だか知らないけれども、あたし近頃|始終《しじゅう》そう思ってるの、いつか一度このお肚《なか》の中にもってる勇気を、外へ出さなくっちゃならない日が来るに違《ちがい》ないって」
「いつか一度? だからお前のは妄想《もうぞう》と同《おん》なじ事なんだよ」
「いいえ生涯《しょうがい》のうちでいつか一度じゃないのよ。近いうちなの。もう少ししたらのいつか一度なの」
「ますます悪くなるだけだ。近き将来において蛮勇なんか亭主の前で発揮された日にゃ敵《かな》わない」
「いいえ、あなたのためによ。だから先刻《さっき》から云ってるじゃないの、夫のために出す勇気だって」
真面目《まじめ》なお延の顔を見ていると、津田もしだいしだいに釣り込まれるだけであった。彼の性格にはお延ほどの詩がなかった。その代り多少気味の悪い事実が遠くから彼を威圧していた。お延の詩、彼のいわゆる妄想は、だんだん活躍し始めた。今まで死んでいるとばかり思って、弄《いじく》り廻していた鳥の翅《つばさ》が急に動き出すように見えた時、彼は変な気持がして、すぐ会話を切り上げてしまった。
彼は帯の間から時計を出して見た。
「もう時間だ、そろそろ出かけなくっちゃ」
こう云って立ち上がった彼の後《あと》を送って玄関に出たお延は、帽子《ぼうし》かけから茶の中折を取って彼の手に渡した。
「行っていらっしゃい。小林さんによろしくってお延が云ってたと忘れずに伝えて下さい」
津田は振り向かないで夕方の冷たい空気の中に出た
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