ません」
「じゃ延子さんはまるで知らずにいるのね、あの事を」
「ええ、少くとも私からは何にも聴《き》かされちゃいません」
「そう。じゃ全く無邪気なのね。それとも少しは癇《かん》づいているところがあるの」
「そうですね」
津田は考えざるを得なかった。考えても断案は控えざるを得なかった。
百三十八
話しているうちに、津田はまた思いがけない相手の心理に突き当った。今まで清子の事をお延に知らせないでおく方が、自分の都合でもあり、また夫人の意志でもあるとばかり解釈して疑わなかった彼は、この時始めて気がついた。夫人はどう考えてもお延にそれを気《け》どっていて貰《もら》いたいらしかったからである。
「たいていの見当はつきそうなものですがね」と夫人は云った。津田はお延の性質を知っているだけになお答え悪《にく》くなった。
「そこが分らないといけないんですか」
「ええ」
津田はなぜだか知らなかった。けれども答えた。
「もし必要なら話しても好ござんすが……」
夫人は笑い出した。
「今さらあなたがそんな事をしちゃぶち壊《こわ》しよ。あなたはしまいまで知らん顔をしていなくっちゃ」
夫人はこれだけ云って、言葉に区切《くぎり》を付けた後で、新たに出直した。
「私《わたし》の判断を云いましょうか。延子さんはああいう怜俐《りこう》な方《かた》だから、もうきっと感づいているに違《ちがい》ないと思うのよ。何、みんな判るはずもないし、またみんな判っちゃこっちが困るんです。判ったようでまた判らないようなのが、ちょうど持って来いという一番結構な頃合《ころあい》なんですからね。そこで私の鑑定から云うと、今の延子さんは、都合《つごう》よく私のお誂《あつら》え通《どお》りのところにいらっしゃるに違ないのよ」
津田は「そうですか」というよりほかに仕方がなかった。しかしそういう結論を夫人に与える材料はほとんどなかろうにと、腹の中では思った。しかるに夫人はあると云い出した。
「でなければ、ああ虚勢を張る訳がありませんもの」
お延の態度を虚勢と評したのは、夫人が始めてであった。この二字の前に怪訝《けげん》な思いをしなければならなかった津田は、一方から見て、またその皮肉を第一に首肯《うけが》わなければならない人であった。それにもかかわらず彼は躊躇《ちゅうちょ》なしに応諾を与える事ができなかっ
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