手前があるように、お延にも津田におく気兼《きがね》があったので、それが真向《まとも》に双方を了解できる聡明《そうめい》な彼の頭を曇らせる原因になった。女の挨拶《あいさつ》に相当の割引をして見る彼も、そこにはつい気がつかなかったため、彼は自分の前でする夫人のお延評を真《ま》に受けると同時に、自分の耳に聴《き》こえるお延の夫人評もまた疑がわなかった。そうしてその評は双方共に美くしいものであった。
二人の女性が二人だけで心の内に感じ合いながら、今までそれを外に現わすまいとのみ力《つと》めて来た微妙な軋轢《あつれき》が、必然の要求に逼《せま》られて、しだいしだいに晴れ渡る靄《もや》のように、津田の前に展開されなければならなくなったのはこの時であった。
津田は夫人に向って云った。
「別段大事にするほどの女房でもありませんから、その辺の御心配は御無用です」
「いいえそうでないようですよ。世間じゃみんなそう思ってますよ」
世間という仰山《ぎょうさん》な言葉が津田を驚ろかせた。夫人は仕方なしに説明した。
「世間って、みんなの事よ」
津田にはそのみんなさえ明暸《めいりょう》に意識する事ができなかった。しかし世間だのみんなだのという誇張した言葉を強める夫人の意味は、けっして推察に困難なものではなかった。彼女はどうしてもその点を津田の頭に叩《たた》き込もうとするつもりらしかった。津田はわざと笑って見せた。
「みんなって、お秀の事なんでしょう」
「秀子さんは無論そのうちの一人よ」
「そのうちの一人でそうしてまた代表者なんでしょう」
「かも知れないわ」
津田は再び大きな声を出して笑った。しかし笑った後ですぐ気がついた。悪い結果になって夫人の上に反響して来たその笑いはもう取り返せなかった。文句を云わずに伏罪《ふくざい》する事の便宜《べんぎ》を悟った彼は、たちまち容《かた》ちを改ためた。
「とにかくこれからよく気をつけます」
しかし夫人はそれでもまだ満足しなかった。
「秀子さんばかりだと思うと間違いですよ。あなたの叔父さんや叔母さんも、同《おん》なじ考えなんだからそのつもりでいらっしゃい」
「はあそうですか」
藤井夫婦の消息が、お秀の口から夫人に伝えられたのも明らかであった。
「ほかにもまだあるんです」と夫人がまた付け加えた。津田はただ「はあ」と云って相手の顔を見た拍子《ひょうし》
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