のお金を断ることによって、併《あわ》せて私の親切をも排斥しようとなさるのです。そうしてそれが嫂さんには大変なお得意になるのです。嫂さんも逆です。嫂さんは妹の実意を素直《すなお》に受けるために感じられる好い心持が、今のお得意よりも何層倍人間として愉快だか、まるで御存じない方《かた》なのです」
 お延は黙っていられなくなった。しかしお秀はお延よりなお黙っていられなかった。彼女を遮《さえ》ぎろうとするお延の出鼻を抑《おさ》えつけるような熱した語気で、自分の云いたい事だけ云ってしまわなければ気がすまなかった。

        百十

「嫂さん何かおっしゃる事があるなら、後でゆっくり伺いますから、御迷惑でも我慢して私に云うだけ云わせてしまって下さい。なにもう直《じき》です。そんなに長くかかりゃしません」
 お秀の断り方は妙に落ちついていた。先刻《さっき》津田と衝突した時に比《くら》べると、彼女はまるで反対の傾向を帯びて、激昂《げっこう》から沈静の方へ推《お》し移って来た。それがこの場合いかにも案外な現象として二人の眼に映った。
「兄さん」とお秀が云った。「私はなぜもっと早くこの包んだ物を兄さんの前に出さなかったのでしょう。そうして今になってまた何できまりが悪くもなく、それをあなた方の前に出されたのでしょう。考えて下さい。嫂《ねえ》さんも考えて下さい」
 考えるまでもなく、二人にはそれがお秀の詭弁《きべん》としか受取れなかった。ことにお延にはそう見えた。しかしお秀は真面目《まじめ》であった。
「兄さん私はこれであなたを兄さんらしくしたかったのです。たかがそれほどの金でかと兄さんはせせら笑うでしょう。しかし私から云えば金額《かねだか》は問題じゃありません。少しでも兄さんを兄さんらしくできる機会があれば、私はいつでもそれを利用する気なのです。私は今日《きょう》ここでできるだけの努力をしました。そうしてみごとに失敗しました。ことに嫂さんがおいでになってから以後、私の失敗は急に目立って来ました。私が妹として兄さんに対する執着を永久に放《ほう》り出《だ》さなければならなくなったのはその時です。――嫂さん、後生《ごしょう》ですから、もう少し我慢して聴いていて下さい」
 お秀はまたこう云って何か云おうとするお延を制した。
「あなた方の態度はよく私に解《わか》りました。あなた方から一時間二時
前へ 次へ
全373ページ中203ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング