叔父と話をしていた。
「一さんは犬みたいよ」と百合子がわざわざ知らせに来た時、お延はこの小さい従妹《いとこ》から、彼がぱくりと口を開《あ》いて上から鼻の先へ出された餅菓子《もちがし》に食いついたという話を聞いたのであった。
 お延は微笑しながらいわゆる犬みたいな男の子の談話に耳を傾けた。
「お父さま彗星《ほうきぼし》が出ると何か悪い事があるんでしょう」
「うん昔の人はそう思っていた。しかし今は学問が開《ひら》けたから、そんな事を考えるものは、もう一人もなくなっちまった」
「西洋では」
 西洋にも同じ迷信が古代に行われたものかどうだか、叔父は知らないらしかった。
「西洋? 西洋にゃ昔からない」
「でもシーザーの死ぬ前に彗星が出たっていうじゃないの」
「うんシーザーの殺される前か」と云った彼は、ごまかすよりほかに仕方がないらしかった。
「ありゃ羅馬《ローマ》の時代だからな。ただの西洋とは訳が違うよ」
 一《はじめ》はそれで納得《なっとく》して黙った。しかしすぐ第二の質問をかけた。前よりは一層奇抜なその質問は立派に三段論法の形式を具えていた。井戸を掘って水が出る以上、地面の下は水でなければならない、地面の下が水である以上、地面は落《おっ》こちなければならない。しかるに地面はなぜ落こちないか。これが彼の要旨《ようし》であった。それに対する叔父の答弁がまたすこぶるしどろもどろなので、傍《はた》のものはみんなおかしがった。
「そりゃお前落ちないさ」
「だって下が水なら落ちる訳じゃないの」
「そう旨《うま》くは行かないよ」
 女連《おんなれん》が一度に笑い出すと、一はたちまち第三の問題に飛び移った。
「お父さま、僕この宅《うち》が軍艦だと好いな。お父さまは?」
「お父さまは軍艦よりただの宅の方が好いね」
「だって地震の時宅なら潰《つぶ》れるじゃないの」
「ははあ軍艦ならいくら地震があっても潰れないか。なるほどこいつは気がつかなかった。ふうん、なるほど」
 本式に感服している叔父の顔を、お延は微笑しながら眺めた。先刻《さっき》藤井を晩餐《ばんさん》に招待するといった彼は、もうその事を念頭においていないらしかった。叔母も忘れたように澄ましていた。お延はつい一に訊《き》いて見たくなった。
「一さん藤井の真事《まこと》さんと同級なんでしょう」
「ああ」と云った一は、すぐ真事についてお延の
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