っていた。不思議な事に洋杖が鼻へ触《さわ》りさえすれば豚はころりと谷の底へ落ちて行く。覗《のぞ》いて見ると底の見えない絶壁を、逆《さか》さになった豚が行列して落ちて行く。自分がこのくらい多くの豚を谷へ落したかと思うと、庄太郎は我ながら怖《こわ》くなった。けれども豚は続々くる。黒雲に足が生《は》えて、青草を踏み分けるような勢いで無尽蔵《むじんぞう》に鼻を鳴らしてくる。
庄太郎は必死の勇をふるって、豚の鼻頭を七日《なのか》六晩叩《むばんたた》いた。けれども、とうとう精根が尽きて、手が蒟蒻《こんにゃく》のように弱って、しまいに豚に舐《な》められてしまった。そうして絶壁の上へ倒れた。
健さんは、庄太郎の話をここまでして、だからあんまり女を見るのは善《よ》くないよと云った。自分ももっともだと思った。けれども健さんは庄太郎のパナマの帽子が貰いたいと云っていた。
庄太郎は助かるまい。パナマは健さんのものだろう。
底本:「夏目漱石全集10巻」ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年7月26日第1刷発行
1996(平成8)年7月15日第5刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏
前へ
次へ
全41ページ中40ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング