る所は足の下も掘り下げて、暗い所にさまざまの仕掛《しかけ》が猛烈に活動していた。工業世界にも、文学者の頭以上に崇高なものがあるなと感心して、すぐその棟《むね》を飛び出したくらいである。詮《せん》ずるに要領はただ凄《すさ》まじい音を聞いて、同じく凄まじい運動を見たのみである。
 股野はその間を馳《か》け回《まわ》って、おい誰さんはいないかねと、しきりに技師を探していた。技師は股野に捕《つら》まるほど閑《ひま》でなかったと見えて、とうとう見当らなかった。

        十六

 今日は化物屋敷を見て来たと云うと、田中君が笑いながら、夏目さん、なぜ化物屋敷というんだか訳を知っていますかと聞いた。余は固《もと》より下級社員合宿所の標本として、化物屋敷の中を一覧したまでで、化物の因縁《いんねん》はまだ詮議《せんぎ》していなかった。けれども化物屋敷はこれだと云われた時には、うんそうかと云って、少しも躊躇《ちゅうちょ》なく足を踏込《ふんご》んだ。なぜそんな恐ろしい名が、この建物に付纏《つけまと》っているのかと、立ちどまって疑って見る暇も何もなかった。いわゆる化物屋敷はそれほど陰気にでき上がっていた。でき上ったというと新規に拵《こしら》えた意味を含んでいるから、この建築の形容としては、むしろ不適当であるかも知れない。化物屋敷はそのくらい古い色をしている。壁は煉瓦《れんが》だろうが、外部は一面の灰色で、中には日の透《とお》りそうもない、薄暗い空気を湛《たた》えるごとくに思われた。
 余はこの屋敷の長い廊下を一階二階三階と幾返《いくかえり》か往来《おうらい》した。歩けば固い音がする。階段《はしごだん》を上《あが》るときはなおさらこつこつ鳴った。階段は鉄でできていた。廊下の左右はことごとく部屋で、部屋という部屋は皆締め切ってあった。その戸の上に、室《しつ》の所有者の標札がかかっている。烈《はげ》しい光線に慣れた眼で、すぐその標札を読もうとすると、判然《はっきり》読めないくらい廊下は暗かった。余はちょっと立ちどまって室《へや》の中を見る訳には行かないのかなと股野に聞いて見た。股野はすぐ持っていた洋杖《ステッキ》で右手の戸をとんと叩《たた》いた。しかしはい[#「はい」に傍点]とも、這入《はい》れとも応《こた》えるものはなかった。股野はまた二番目の戸をとんとん叩いた。これも中はしんとしている。股野は毫《ごう》も辟易《へきえき》した気色《けしき》なく無遠慮にそこいら中こつこつ叩いて歩いたが、しまいまで人気《ひとけ》のする室には打《ぶ》つからなかった。あたかも立《た》ち退《の》いた町の中を歩いているような感じがした。三階に来た時、細い廊下の曲り角で一人の女が鍋《なべ》で御菜《おさい》を煮ているのに出逢《であ》った。そこには台所があった。化物屋敷では五六軒寄って一つの台所を持っているのだそうだ。御神《おかみ》さん水は上にありますかと尋ねたら、いえ下から汲《く》んで揚げますと答えた。余はこの暗い町内に、便所がどこにいくつあるか不審に思ったが、つい聞きもせず、女の前を行き過ぎて通ろうとすると、そっちは行きどまりでございますと注意された。道理で真闇《まっくら》であった。
 田中君の話によると、この建物は日露戦争の当時の病院だとか云う事である。戦争が烈《はげ》しくなって、負傷者の数が増して来るに従って、収容した人間に充分の手当ができないばかりでなく、気の毒ながら見殺しにしなければならない兵士がたくさんにできて、それらの創口《きずぐち》から出る怨《うら》みの声が大連中に響き渡るほど凄《すさま》じかったので、その以後はこの一廓《ひとくるわ》を化物屋敷と呼ぶようになった。しかし本当だか嘘《うそ》だか実は僕も保証しないと、田中君自身が笑っていたから、余はなおさら保証しない。
 ただ満鉄の重役が始めて大連に渡ったとき、この化物屋敷に陣を構えた事だけは事実である。その時この建物は化物さえ住みかねるほどに荒れ果てて、残焼家屋《ざんしょうかおく》として、骸骨《がいこつ》のごとくに突っ立っていたそうである。陣取った連中は死物狂で、天候と欠乏と不便に対して戦後の戦争を開始した。汽車の中で炭を焚《た》いて死《し》に損《そく》なったり、貨車へ乗って、カンテラを点《つ》けて用を足そうとすると、そのカンテラが揺《ゆす》ぶれてすぐ消えてしまったり、サイホンを呑むと二三滴口へ這入《はい》るだけであとはすぐ氷の棒に変化したり、すべてが探険と同様であった。
「清野《せいの》が毛織の襯衣《シャツ》を半ダース重ねて着たのは彼時《あのとき》だよ」
「清野は驚いて、あれっきりやって来ない」
 余は田中君と是公がこんな話をするのを聞いて、つい化物屋敷の事を忘れてしまった。

        十七

 三階へ上《あが》って見ると豆ばかりである。ただ窓際《まどぎわ》だけが人の通る幅ぐらいの床《ゆか》になっている。余は静かに豆と壁の間をぐるぐる廻って歩いた。気をつけないと、足の裏で豆を踏み潰《つぶ》す恐れがある上に、人のいない天井裏を無益に響かすのが苦《く》になったからである。豆は砂山のごとく脚下に起伏している。こちらの端から向うの端まで眺めて見ると、随分と長い豆の山脈ができ上っていた。その真中を通して三カ所ほどに井桁《いげた》に似た恰好《かっこう》の穴が掘ってある。豆はその中から断えず下へ落ちて行って、平たく引割られるのだそうだ。時々どさっと音がして、三階の一隅《ひとすみ》に新しい砂山ができる。これはクーリーが下から豆の袋を背負《しょ》って来て、加減の好い場所を見計らって、袋の口から、ばらに打《ぶ》ち撒《ま》けて行くのである。その時はぼうと咽《むせ》るような煙《けむ》が立って、数え切れぬほどの豆と豆の間に潜《ひそ》んでいる塵《ちり》が一度に踊《おど》り上《あが》る。
 クーリーはおとなしくて、丈夫で、力があって、よく働いて、ただ見物するのでさえ心持が好い。彼等の背中に担《かつ》いでいる豆の袋は、米俵のように軽いものではないそうである。それを遥《はるか》の下から、のそのそ背負《しょ》って来ては三階の上へ空《あ》けて行く。空けて行ったかと思うとまた空けに来る。何人がかりで順々に運んでくるのか知れないが、その歩調から態度から時間から、間隔からことごとく一様である。通り路は長い厚板を坂に渡して、下から三階までを、普請《ふしん》の足場のように拵《こしら》えてある。彼等はこの坂の一つを登って来て、その一つをまた下りて行く。上《のぼ》るものと下りるものが左右の坂の途中で顔を見合せてもほとんど口を利《き》いた事がない。彼等は舌のない人間のように黙々として、朝から晩まで、この重い豆の袋を担《かつ》ぎ続けに担いで、三階へ上っては、また三階を下《くだ》るのである。その沈黙と、その規則ずくな運動と、その忍耐とその精力とはほとんど運命の影のごとくに見える。実際立って彼等を観察していると、しばらくするうちに妙に考えたくなるくらいである。
 三階から落ちた豆が下へ回るや否や、大きな麻風呂敷《あさぶろしき》が受取って、たちまち釜《かま》の中に運び込む。釜の中で豆を蒸《む》すのは実に早いものである。入れるかと思うと、すぐ出している。出すときには、風呂敷の四隅を攫《つか》んで、濛々《もうもう》と湯気の立つやつを床《ゆか》の上に放り出す。赤銅《しゃくどう》のような肉の色が煙の間から、汗で光々《ぴかぴか》するのが勇ましく見える。この素裸《すはだか》なクーリーの体格を眺めたとき、余はふと漢楚軍談《かんそぐんだん》を思い出した。昔|韓信《かんしん》に股を潜《くぐ》らした豪傑はきっとこんな連中に違いない。彼等は胴から上の筋肉を逞《たくま》しく露《あら》わして、大きな足に牛の生皮《きがわ》を縫合せた堅《かた》い靴を穿《は》いている。蒸した豆を藺《い》で囲んで、丸い枠《わく》を上から穿《は》めて、二尺ばかりの高さになった時、クーリーはたちまちこの靴のまま枠《わく》の中に這入《はい》って、ぐんぐん豆を踏み固める。そうして、それを螺旋《らせん》の締棒《しめぼう》の下に押込んで、把《て》をぐるぐると廻し始める。油は同時に搾《しぼ》られて床下《ゆかした》の溝《みぞ》にどろどろに流れ込む。豆は全くの糟《かす》だけになってしまう。すべてが約二三分の仕事である。
 この油が喞筒《ポンプ》の力で一丈四方もあろうという大きな鉄の桶《おけ》に吸上げられて、静《しずか》に深そうに淀《よど》んでいるところを、二階へ上がって三つも四つも覗《のぞ》き込んだときには、恐ろしくなった。この中に落ちて死ぬ事がありますかと、案内に聞いたら、案内は平気な顔をして、まあ滅多《めった》に落ちるような事はありませんねと答えたが、余はどうしても落ちそうな気がしてならなかった。
 クーリーは実にみごとに働きますね、かつ非常に静粛だ。と出がけに感心すると、案内は、とても日本人には真似《まね》もできません。あれで一日五六銭で食っているんですからね。どうしてああ強いのだか全く分りませんと、さも呆《あき》れたように云って聞かせた。

        十八

 股野が先生私の宅《うち》へ来なさらんか、八畳の間が空《あ》いています、夜具も蒲団《ふとん》もあります。ホテルにいるより呑気《のんき》で好いでしょうと親切に云ってくれる。何でも股野の家の座敷からは、大連が一目に見渡されるのみならず、海が手に取るように眺められるのみならず、海の向うに連《つら》なる突兀《とっこつ》極まる山脈さえ、坐っていると、窓の中に向うから這入《はい》って来てくれるという重宝《ちょうほう》な家《うち》なんだそうである。
 始めのうちは股野の自慢を好加減《いいかげん》に聞き流して、そうかそうかと答えていたが、せっかくの好意ではあるし、もともと気の多い男だから、都合によっては少し厄介《やっかい》になっても好いぐらいに思って、ついでの時|是公《ぜこう》にこの話をすると、そんな所へ行っちゃいかんとたちまち叱られてしまった。もしホテルが厭《いや》なら、おれの宅へ来い、あの部屋へ入れてやるからと云うんで、書斎の次の畳の敷いてある間を見せてくれるんだが、別に西洋流の宿屋に愛想《あいそ》をつかした訳でもないんだから、じゃ厄介になろうとも云わなかった。
 是公は書斎の大きな椅子《いす》の上に胡坐《あぐら》をかいて、河豚《ふぐ》の干物《ひもの》を噛《かじ》って酒を呑《の》んでいる。どうして、あんな堅いものが胃に収容できるかと思うと、実に恐ろしくなる。そうこうする内に、おいゼムを持っているなら少しくれ、何だかおれも胃が悪くなったようだと手を出した。そうして、胃が悪いときは、河豚の干物でも何でも、ぐんぐん喰って、胃病を驚かしてやらなければ駄目だ。そうすればきっと癒《なお》ると云った。酔っていたに違ない。
 余はポッケットから注文の薬を出して相手にあてがった。これは二三日前是公といっしょに馬車に乗って、市中を乗り廻した時、是公の御者《ぎょしゃ》から二十銭借りて大連の薬屋で買ったものである。その時は是公の御者に対する態度のすこぶる叮嚀《ていねい》なのに気がついて少しく驚かされた。君ちょっとそこいらの薬屋へ寄って、ゼムを買ってやって下さいと云うんだから非凡である。
 君は御者に対して叮嚀過ぎるよと忠告してやったら、うんあの時の二十銭をまだ払わなかったっけと思い出したように河豚の干物をまた噛っていた。
 是公の御者には廿銭|借《かり》があるだけだが、その別当《べっとう》に至っては全く奇抜である。第一日本人じゃない。辮髪《べんぱつ》を自慢そうに垂らして、黄色の洋袴《ズボン》に羅紗《らしゃ》の長靴を穿《は》いて、手に三尺ほどの払子《ほっす》をぶら下げている。そうして馬の先へ立って駆《か》ける。よくあんな紳士的な服装《なり》をして汗も出さずに走《かけ》られる事だと思うくらいに早く走ける。もっとも足も長かった。身の丈《たけ》は六尺近くある。
 別当と御者はこのくらいにし
前へ 次へ
全18ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング