いる。外と内とは全く反対である。満鉄の経営にかかるこのホテルは、固《もと》より算盤《そろばん》を取っての儲《もう》け仕事でないと云う事を思い出すまでは、どうしても矛盾の念が頭を離れなかった。
食堂に下りて、窓の外に簇《むら》がる草花の香《におい》を嗅《か》ぎながら、橋本と二人静かに午餐《ごさん》の卓に着いたときは、機会があったら、ここへ来て一夏気楽に暮したいと思った。
二十三
旅順に着いた時汽車の窓から首を出したら、つい鼻の先の山の上に、円柱のような高い塔が見えた。それがあまり高過ぎるので、肩から先を前の方へ突き出して、窮屈に仰向《あおむ》かなくては頂点《てっぺん》まで見上げる訳に行かなかった。
馬車が新市街を通り越してまたこの塔の真下に出た時に、これが白玉山《はくぎょくざん》で、あの上の高い塔が表忠塔だと説明してくれた。よく見ると高い灯台のような恰好《かっこう》である。二百何尺とかと云う話であった。この山の麓《ふもと》を通り越して、旧市街を抜けると、また山路にかかる。その登り口を少し右へ這入《はい》った所に、戦利品陳列所がある。佐藤は第一番にそれを見せるつもりで両人《ふたり》を引張って来た。
陳列所は固《もと》より山の上の一軒家で、その山には樹《き》と名のつくほどの青いものが一本も茂っていないのだから、はなはだ淋《さび》しい。当時の戦争に従事したと云う中尉のA君がただ独《ひと》り番をしている。この尉官は陳列所に幾十種となく並べてある戦利品について、一々|叮嚀《ていねい》に説明の労を取ってくれるのみならず、両人を鶏冠山《けいかんざん》の上まで連れて行って、草も木もない高い所から、遥《はるか》の麓を指さしながら、自分の従軍当時の実歴譚《じつれきだん》をことごとく語って聞かせてくれた人である。始め佐藤から砲台案内を依頼したときには、今日はちと差支《さしつか》えがあるから四時頃までならと云う条件であったが、山の出鼻へ立って洋剣《サーベル》を鞭《むち》の代りにして、あちらこちらと方角を教える段になると、肝心《かんじん》の要事はまるでそっちのけにして、満洲の赤い日が、向うの山の頂《いただき》に、大きくなって近づくまで帰ろうとは云わなかった。もし忘れたんじゃ気の毒だと思って、こっちから注意すると、何ようございます、構いませんと断りながら、ますます講釈
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