。中は勧工場《かんこうば》のように真中を往来にして、同《おなじ》く勧工場の見世《みせ》に当る所を長屋の上り口にしてある。だから長屋と長屋とは壁一重《かべひとえ》で仕切られながら、約一丁も並んでいるばかりか、三尺の往来を越すとすぐ向うの家《うち》になる。上り口を枕にして寝れば、吸付莨《すいつけたばこ》のやり取りぐらいはできるほど近い。相生さんが先へ立って、この狭い往来を通ると、裁縫《しごと》をしたり、子供を寝かしたりしている神《かみ》さん達が、みんな叮嚀《ていねい》に挨拶《あいさつ》をする。しかし中には気がつかずに何か話しているのも見える。
この部落に住んでいる人間が総《そう》がかりになった上に、その何十倍か何百倍のクーリーを使っても、豆の出盛《でさか》りには持て余すほど荷が後から後からと出てくる。相生さんの話によると、多い時は着荷《ちゃくに》の量が一日ならし五千|噸《トン》あるそうである。これがため去年|雨期《うき》を持ち越した噸数は四万噸で、今年《こんねん》はそれが十五万噸に上《のぼ》ったとか聞いた。
南北千五百尺東西四千二百尺の埠頭《ふとう》の側《そば》にこのくらい豆を積んだらずいぶん盛《さかん》なものだろう。
二十一
旅順から電話がかかってこっちへはいつ来るかという問合わせである。おい誰がかけてくれるんだろうなと橋本に聞いて見ると、橋本はそうだなあと云うだけで要領を得ない。おい名前は分らないのかとやむをえずボイに尋ね返したら、ボイは依然として、ただ民政署《みんせいしょ》だと云ってかけて参りましたと同じ事を繰返している。おおかた友熊《ともくま》だろうぐらいに橋本と二人で見当をつけて返事をさせた。これが白仁長官《しらにちょうかん》の好意から出た聞き合せであった事は旅順に着いて後《のち》始めて知った。
旅順には佐藤友熊と云う旧友があって、警視総長と云う厳《いかめ》しい役を勤めている。これは友熊の名前が広告する通りの薩州人《さっしゅうじん》で、顔も気質も看板のごとく精悍《せいかん》にでき上がっている。始めて彼を知ったのは駿河台《するがだい》の成立学舎という汚《きた》ない学校で、その学校へは佐藤も余も予備門に這入《はい》る準備のために通学したのであるからよほど古い事になる。佐藤はその頃|筒袖《つつそで》に、脛《すね》の出る袴《はかま》を穿《は
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