信ずる。
この競争者の出かたである。出かたに二た通りある。一つは自分の縄張《なわばり》うちへ這入《はい》って来て、似寄った武器と、同種の兵法剣術で競争をやる。元来競争となるとたいていの場合は同種同類に限るようです。同種同類でないと、本当の比較ができないからでもあるし、ひとつ、あいつを乗り越してやろうと云う時は、裏道があってもかえって気がつかないで、やっぱり当の敵の向うに見える本街道をあとを慕って走《か》け出すのが心理的に普通な状態であります。すると同圏内で競争が起ります。この競争の刺激によって、作物がだんだん深さを増して来る。種類が同じだから深さ以外に競争のしようがないのであります。
今一つの競争は圏外に新手が出る事であります。これから新たに文壇に顔を出そうと機を覗《ねら》っている人、もしくはすでに打って出た人のうちで、今までのものとは径路を同じゅうする事を好まない事がないとも限らない。これは今までの作物に飽き足らぬか、もしくは、おれはおれだから是非一派を立てて見せると自己の特色に自信をおくか、または世間の注意を惹《ひ》くには何か異様な武者ぶりを見せないと効力が少ないとか、いろいろの動機から起るだろうが、要するに模擬者《もぎしゃ》でもなければ、同圏内の競争者でもない。すなわち圏外の敵である。この種の競争者が出て来ると、文壇の刺激は種類と種類の間に起る。種類が多ければ多いほど文壇は多趣多様になって、互に競《せ》り合《あい》が始まる訳である。
もしこの二種類の競争すなわち圏の内外に互に競争が同時に起るとすると、向後吾人の受くる作物は、この両個の刺激からして、在来のはますます在来の方向で深く発達したもの、新興のは新興の領分で出来得る限りを開拓して変化を添えるようなものになる。もっとも圏外の競争が烈《はげ》しくなると、圏内の競争は比較的穏かになる。また圏内の競争が烈しい時は、比較的圏外が平和である。
圏内の競争が烈しくなるか、圏外の競争が烈しくなるか、どちらに傾くかは、読書界の傾向で大部きめられる問題であります。もし読書界が把住性が強くって、在来の作物からなお或物を予期しつつある間は、圏内の競争の方が烈しい。また読書界が推移性に支配されつつあって、何か新発展を希望する場合には圏外に優勢なものがあらわれ勝になる。もし読書界が両分されて半々になるときは圏内圏外共に相応の
前へ
次へ
全4ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング