部局部を挙《あ》げて論ずることになって不本意であるから、斯《こ》う云う全体を掩《おお》うたような答えをして置く。
 で、今迄言ったような訳だから、文学は男子一生の事業とするに足らぬとか云う人が出て来ても、些《ち》っとも驚くことはない。又、文学は無類|飛切《とびきり》の好い職業で、人生にとって之《こ》れ程意味あり、価値ある職業はないと云う人があっても、又決して喜ぶには当らない。文学に大きな価値があるとか無いとか、深い意味があるとか無いとか、両方で争って見た所で、それは要するに水掛け議論たるに過ぎない。本当に意味あり根柢《こんてい》のある論争ではない。各々の標準の立て方で、どちらも異った根拠に依っての議論であるから、何時《いつ》果《は》てる時はない。一見矛盾の如くにして、実は矛盾ではないのだ。例えば一方は箸《はし》の先端を見て箸は細いと云い、一方は箸の真中を見て箸は太いと云って居るのと同じことで、矛盾のようで実は矛盾でない。どちらにも根拠はある。先《ま》ずそれを争う前に、二人共箸の真中を見て、太い細いを論ずるのが本当の議論である。
 今日の文学の価値に関しての議論が、其辺の微細な点まで極められた上での議論であるかどうか、或は、まだ可い加減に価値があるとかないとか云って居て、両方とも矛盾して居ないような気で、箸の真中と尖端の辺《あた》りを彷徨《ほうこう》して居るのか、それは些《ち》っと考えて見ねばならぬ問題である。恐らく後者であろう。



底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房 
   1972(昭和47)年1月10日第1刷発行
初出:「新潮」
   1908(明治41)年11月1日号
※底本は、「談話」の項におさめた本作品の表題に、かぎ括弧を付けて示している。
入力:Nana ohbe
校正:米田進
2002年5月10日作成
2003年5月25日修正
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