うのはただありのままを衒《てら》わないで真率に書くというのが厭味のない描写としての好所であるのであるが、そのありのままを衒わないで真率に書くところを芸術的に見ないで道義的に批判したらやはり正直という言葉を同じ事象に対して用いられるのだからして、芸術と道徳も非常に接続している事が分りましょう。のみならず芸術的に厭味がなく道徳的に正直であるという事がこの際同じ物を指しているばかりではなく理知の方面から見れば真という資格に相当するのだから、つまりは一つの物を人間の三大活力から分察したと異なるところはないのであります。三位一体と申してもよいでしょう。
 こう分解して見ると、一見道義的で貫ぬいている浪漫派の作物に存外不徳義の分子が発見されたり、またちょっと考えると徳義の方面に何らの注意を払わない自然派の流を汲んだものに妙に倫理上の佳所があったり、そうしてその道義的であるや否やが一にその芸術的であるや否やで決せられるのだから、二者の関係は一層明暸になって来た訳であります。また浪漫、自然と名づけられる二種の文芸上の作物中にこの道徳の分子がいかに織り込まれるかもたいてい説明し得たつもりであります。
 
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