の文学では人間をそう伝説的の英雄の末孫か何かであるようにもったいをつけてありがたそうには書かない。したがって読者も作者も倫理上の感激には乏しい。ことによると人間の弱点だけを綴《つづ》り合せたように見える作物もできるのみならず往々《おうおう》その弱点がわざとらしく誇張される傾《かたむ》きさえあるが、つまりは普通の人間をただありのままの姿に描《えが》くのであるから、道徳に関する方面の行為も疵瑕《しか》交出するということは免《まぬ》かれない。ただこういうあさましいところのあるのも人間本来の真相だと自分でも首肯《うなず》き他《ひと》にも合点《がてん》させるのを特色としている。この二つの文学を詳《くわ》しく説明すればそれだけで大分時間が経ちますから、まあ誰も知っているぐらいの説明で御免《ごめん》を蒙《こうむ》って、この二つの文学が前の二傾向の道徳をその作物中に反射しているということにさえ気がつけば、ここに始めて文芸と道徳とがいずれの点において関係があるかと云うことも明かになって来ようと思います。
返す返す申すようですが題がすでに文芸と道徳でありますから、道徳の関係しない文芸のことは全然論外に置
前へ
次へ
全37ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング