、朝日新聞の広告のために立っている、あるいは夏目漱石を天下に紹介するために立っていると答えられるでしょう。それで宜《よろ》しい。けっして純粋な生一本《きいっぽん》の動機からここに立って大きな声を出しているのではない。この暑さに襟《えり》のグタグタになるほど汗を垂らしてまで諸君のために有益な話をしなければ今晩眠られないというほど奇特《きとく》な心掛は実のところありません。と云ったところでこう見えても、満更《まんざら》好意も人情も無いわがまま一方の男でもない。打ち明けたところを申せば今度の講演を私が断ったって免職になるほどの大事件ではないので、東京に寝ていて、差支《さしつかえ》があるとか健康が許さないとか何《なん》とかかとか言訳の種を拵《こしら》えさえすれば、それですむのです。けれども諸君のためを思い、また社のためを思い、と云うと急に偽善めきますが、まあ義理やら好意やらを加味した動機からさっそく出て来たとすればやはり幾分か善人の面影《おもかげ》もある。有体《ありてい》に白状すれば私は善人でもあり悪人でも――悪人と云うのは自分ながら少々ひどいようだが、まず善悪とも多少|混《まじ》った人間なる
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