っくりそのままの姿で再現できるという信念が強くて、批判的にこれらの模範を視《み》る精神に乏しかったと云うのがおもなる原因でありましょう。一口に云えば科学と云うものがあまり開けなかったからと云ってようございます。のみならずその当時は交通が非常に不便でありまして、東京から大阪へちょっと手紙一本で呼出されて来て講演をすると云うようなことすら、できないとは限りませんが、なかなか億劫《おっくう》でこう手軽には行きません。来るにしても駕籠《かご》に揺られて五十三次を順々に越すのだから、たやすくは間に合いかねます。間に合わないですむとすれば、私がどんな人間であるかは、諸君に知れずにすんでしまう訳である。知られなければよほどえらい人だと思ってくれやしないかと思う。こうやって演壇に立って、フロックコートも着ず、妙な神戸辺の商館の手代が着るような背広などを着てひょこひょこしていては安っぽくていけない。ウンあんな奴《やつ》かという気が起るにきまっている。が駕籠の時代ならそうまで器量を下げずにすんだかも知れない。交通の不便な昔は、山の中に仙人がいると思っておったくらいだから、江戸には漱石といって仙人ではないが、まあ仙人に近い人間がいるそうだぐらいの評判で持ち切って下されば私もはなはだ満足の至りであったろうが、今日《こんにち》汽車電話の世の中ではすでに仙人そのものが消滅したから、仙人に近い人間の価値も自然下落して、商館の手代そのままの風采《ふうさい》を残念ながら諸君の御覧に入れなければならない始末になります。次に、昔は階級制度で社会が括《くく》られていたのだから、階級が違うと容易に接触すらできなくなる場合も多かった。今でも天子様などにはむやみには近づけません。私はまだ拝謁《はいえつ》をしませんが、昔は一般から見て今の天皇陛下以上に近づきがたい階級のものがたくさんおったのです。一国の領主に言葉を交えるのすら平民には大変な異例でしょう。土下座とか云って地面《じべた》へ坐って、ピタリと頭を下げて、肝腎《かんじん》の駕籠《かご》が通る時にはどんな顔の人がいるのかまるで物色する事ができなかった。第一駕籠の中には化物がいるのか人間がいるのかさえ分らなかったくらいのものと聞いています。してみると階級が違えば種類が違うという意味になってその極はどんな人間が世の中にあろうと不思議を挟《はさ》む余地のないくらい
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