ている通りの角まで来ると、彼より先に一人の女が須永の門を潜《くぐ》った。敬太郎はただ一目《ひとめ》その後姿を見ただけだったが、青年に共通の好奇心と彼に固有の浪漫趣味《ロマンしゅみ》とが力を合せて、引き摺《ず》るように彼を同じ門前に急がせた。ちょっと覗《のぞ》いて見ると、もう女の影は消えていた。例の通り紅葉《もみじ》を引手《ひきて》に張り込んだ障子《しょうじ》が、閑静に閉《しま》っているだけなのを、敬太郎は少し案外にかつ物足らず眺《なが》めていたが、やがて沓脱《くつぬぎ》の上に脱ぎ捨てた下駄《げた》に気をつけた。その下駄はもちろん女ものであったが、行儀よく向うむきに揃《そろ》っているだけで、下女が手をかけて直した迹《あと》が少しも見えない。敬太郎は下駄の向《むき》と、思ったより早く上《あが》ってしまった女の所作《しょさ》とを継《つ》ぎ合わして、これは取次を乞わずに、独《ひと》りで勝手に障子を開けて這入《はい》った極《きわ》めて懇意の客だろうと推察した。でなければ家《うち》のものだが、それでは少し変である。須永の家《いえ》は彼と彼の母と仲働《なかばたら》きと下女の四人《よつたり》暮しである
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