《おたより》がございましたかと聞いた。敬太郎は自分の方で下へ聞きに行こうと思っていたところだと答えた。神さんは多少心元ない色を梟《ふくろ》のような丸い眼の中《うち》に漂《ただ》よわせて出て行った。それから一週間ほど経《た》っても森本はまだ帰らなかった。敬太郎も再び不審を抱《いだ》き始めた。帳場の前を通る時に、まだですかとわざと立ち留って聞く事さえあった。けれどもその頃は自分がまた思い返して、位置の運動を始め出した出花《でばな》なので、自然その方にばかり頭を専領される日が多いため、これより以上立ち入って何物をも探る事をあえてしなかった。実を云うと、彼は森本の予言通り、衣食の計《はかりごと》のために、好奇家の権利を放棄したのである。
 すると或晩主人がちょっと御邪魔をしても好いかと断わりながら障子《しょうじ》を開けて這入《はい》って来た。彼は腰から古めかしい煙草入《たばこいれ》を取り出して、その筒《つつ》を抜く時ぽんという音をさせた。それから銀の煙管《きせる》に刻草《きざみ》を詰めて、濃い煙を巧者に鼻の穴から迸《ほとば》しらせた。こうゆっくり構える彼の本意を、敬太郎は判然《はっきり》向うか
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