のを眼にするたびに、いかにもせせこましそうな心持になる。こう万事がきちりと小さく整のってかつ光っていられては窮屈でたまらないと思う。これほど小ぢんまりと几帳面《きちょうめん》に暮らして行く彼らは、おそらく食後に使う楊枝《ようじ》の削《けず》り方《かた》まで気にかけているのではなかろうかと考える。そうしてそれがことごとく伝説的の法則に支配されて、ちょうど彼らの用いる煙草盆《たばこぼん》のように、先祖代々順々に拭《ふ》き込まれた習慣を笠《かさ》に、恐るべく光っているのだろうと推察する。須永《すなが》の家《うち》へ行って、用もない松へ大事そうな雪除《ゆきよけ》をした所や、狭い庭を馬鹿丁寧《ばかていねい》に枯松葉で敷きつめた景色《けしき》などを見る時ですら、彼は繊細な江戸式の開花の懐《ふところ》に、ぽうと育った若旦那《わかだんな》を聯想《れんそう》しない訳に行かなかった。第一須永が角帯《かくおび》をきゅうと締《し》めてきちりと坐る事からが彼には変であった。そこへ長唄《ながうた》の好きだとかいう御母《おっか》さんが時々出て来て、滑《すべ》っこい癖《くせ》にアクセントの強い言葉で、舌触《したざわり》の好い愛嬌《あいきょう》を振りかけてくれる折などは、昔から重詰《じゅうづめ》にして蔵の二階へしまっておいたものを、今取り出して来たという風に、出来合《できあい》以上の旨《うま》さがあるので、紋切形《もんきりがた》とは無論思わないけれども、幾代《いくだい》もかかって辞令の練習を積んだ巧みが、その底に潜《ひそ》んでいるとしか受取れなかった。
要するに敬太郎《けいたろう》はもう少し調子外《ちょうしはず》れの自由なものが欲しかったのである。けれども今日《きょう》の彼は少くとも想像の上において平生の彼とは違っていた。彼は徳川時代の湿《しめ》っぽい空気がいまだに漂《ただ》よっている黒い蔵造《くらづくり》の立ち並ぶ裏通に、親譲りの家を構えて、敬ちゃん御遊びなという友達を相手に、泥棒ごっこや大将ごっこをして成長したかった。月に一遍ずつ蠣殼町《かきがらちょう》の水天宮様《すいてんぐうさま》と深川の不動様へ御参りをして、護摩《ごま》でも上げたかった。(現に須永は母の御供をしてこういう旧弊《きゅうへい》な真似《まね》を当り前のごとくやっている。)それから鉄無地《てつむじ》の羽織でも着ながら、歌舞伎を当世
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