るようなところに、彼の快感を惹《ひ》いた。けれどもその快感のうちには涙が交っていた。苦痛を逃《のが》れるために已《やむ》を得ず流れるよりも、悲哀をできるだけ長く抱《いだ》いていたい意味から出る涙が交《まじ》っていた。彼は独身ものであった。小児に対する同情は極めて乏しかった。それでも美くしいものが美くしく死んで美くしく葬られるのは憐《あわ》れであった。彼は雛祭《ひなまつり》の宵《よい》に生れた女の子の運命を、あたかも御雛様のそれのごとく可憐《かれん》に聞いた。
 彼は須永《すなが》の口から一調子《ひとちょうし》狂った母子《おやこ》の関係を聞かされて驚ろいた。彼も国元に一人の母を有《も》つ身であった。けれども彼と彼の母との関係は、須永ほど親しくない代りに、須永ほどの因果《いんが》に纏綿《てんめん》されていなかった。彼は自分が子である以上、親子の間を解し得たものと信じて疑わなかった。同時に親子の間は平凡なものと諦《あき》らめていた。より込み入った親子は、たとえ想像が出来るにしても、いっこう腹にはこたえなかった。それが須永のために深く掘り下げられたような気がした。
 彼はまた須永から彼と千代子との間柄を聞いた。そうして彼らは必竟《ひっきょう》夫婦として作られたものか、朋友《ほうゆう》として存在すべきものか、もしくは敵《かたき》として睨《にら》み合うべきものかを疑った。その疑いの結果は、半分の好奇と半分の好意を駆《か》って彼を松本に走らしめた。彼は案外にも、松本をただ舶来のパイプを銜《くわ》えて世の中を傍観している男でないと発見した。彼は松本が須永に対してどんな考でどういう所置を取ったかを委《くわ》しく聞いた。そうして松本のそういう所置を取らなければならなくなった事情も審《つまび》らかにした。
 顧《かえり》みると、彼が学校を出て、始めて実際の世の中に接触して見たいと志ざしてから今日《こんにち》までの経歴は、単に人の話をそこここと聞き廻って歩いただけである。耳から知識なり感情なりを伝えられなかった場合は、小川町の停留所で洋杖《ステッキ》を大事そうに突いて、電車から下りる霜降《しもふり》の外套《がいとう》を着た男が若い女といっしょに洋食屋に這入る後《あと》を跟《つ》けたくらいのものである。それも今になって記憶の台に載《の》せて眺《なが》めると、ほとんど冒険とも探検とも名づけよう
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