》ての記事を読破《どくは》したという事である。山県君は第一その語学の力に驚ろいていた。和蘭語《オランダご》でも何でも自由に読むといって呆《あき》れたような顔をして余に語った。述作《じゅっさく》の際非常に頭を使う結果として、しまいには天を仰《あお》いで昏倒《こんとう》多時にわたる事があるので、奥さんが大変心配したという話も聞いた。そればかりではない、先生は単にこの著作を完成するために、日本語と漢字の研究まで積まれたのである。山県君は先生の技倆《ぎりょう》を疑って、六《む》ずかしい漢字を先生に書かして見たら、旨《うま》くはないが、劃《かく》だけは間違なく立派に書いたといって感心していた。これらの準備からなる先生の『日本歴史』は、悉《ことごと》く材料を第一の源《みなもと》から拾い集めて大成したもので、儲《もう》からない保証があると同時に、学者の良心に対して毫《ごう》も疚《や》ましからぬ徳義的な著作であるのはいうまでもない。
「余は人間に能《あと》う限りの公平と無私とを念じて、栄誉ある君の国の歴史を今になお述作しつつある。従って余の著書は一部|人士《じんし》の不満を招くかも知れない。けれどもそれはやむを得ない。ジョン・モーレーのいった通り何人《なんびと》にもあれ誠実を妨ぐるものは、人類進歩の活力を妨ぐると一般であって、その真正なる日本の進歩は余の心を深くかつ真面目《まじめ》に動かす題目に外ならぬからである。」
余は先生の人となりと先生の目的とを信じて、ここに先生の手紙の一節をありのままに訳出した。先生は新刊第三巻の冒頭《ぼうとう》にある緒論《しょろん》をとくに思慮《しりょ》ある日本人に見てもらいたいといわれる。先生から同書の寄贈を受ける日それを一読して満足な批評を書き得るならば、そうして先生の著書を天下に紹介する事が出来得るならば余の幸《さいわい》である。先生の意は、学位を辞退した人間としての夏目なにがしに自分の著述を読んでもらって、同じく博士を辞退した人間としての夏目なにがしに、その著述を天下に紹介してもらいたいという所にあるのだろうと思うからである。
[#地から2字上げ]――明治四四、三、六―八『東京朝日新聞』――
底本:「漱石文明論集」岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年10月16日第1刷発行
1998(平成10)年7月24日第26刷発行
入力:柴田卓治
校正:しず
1999年8月5日公開
2003年10月9日修正
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