う〕》独乙統一の為《ため》ではないか。其統一は四囲の圧迫を防ぐためではないか。既に統一が成立し、帝国が成立し、侵略の虞《〔おそれ〕》なくして独乙が優に存在し得た暁には撤回すべき性質のものではないか。もし永久に此主義で押し通すとならば、論理上此主義其物に価値がなくてはならない。さうして其価値によつて此主義の存在が保証されなければならない。そんな価値が果して何処《どこ》から出て来《く》るだらうか」
 個人の場合でも唯喧嘩に強いのは自慢にならない。徒《〔いたず〕》らに他《ひと》を傷《あや》める丈である。国と国とも同じ事《こと》で、単に勝つ見込があるからと云つて、妄《〔みだ〕》りに干戈《〔かんか〕》を動かされては近所が迷惑する丈である。文明を破壊する以外に何の効果もない。勝つたものは勝つた後《あと》で、其損害を償ふ以上の貢献を、大きな文明に対してしなければならない筈である。少なくとも其心掛がなくてはならない筈である。自分は今の独乙にそれ丈の事《こと》を仕終せる精神と実力があるか何《ど》うかを危《あや》ぶまざるを得ないのである。するとトライチケの主張は独乙統一前には生存上有効でもあり必要でもあり合|理《り》的でもあつて、今の独乙には無効で不必要で不合理なものかも知れないといふ事《こと》に帰着する。
 然しながら彼は云つた。――
「ヰリアム帝は独乙に祖国を与へたるのみならず、より平|衡《こう》を得たる又より合理的なる支配の下に文明世|界《かい》を置いた。全世界を健全にするは独乙の事業なりと云つた詩人ガイベルの言葉《ことば》は今に実現せられるだらう」
 して見るとトライチケは、独乙が全欧のみならず、全世界を征服する迄、此軍国主義国家主義で押し通す積《つもり》だつたかも知れない。然しながら、我々人類が悉《〔ことごと〕》く独乙に征服された時、我々は其報酬として独乙から果して何を給与されるのだらう。独乙もトライチケもまづ其所《そこ》から説明してかゝらなければならない。



底本:「漱石全集 第十六巻」岩波書店
   1995(平成7)年4月19日発行
底本の親本:
   「点頭録六」「点頭録七」「点頭録八」「点頭録九」については原稿(岩波書店蔵)。
   それ以外については「東京朝日新聞」。
   掲載日は第一回から第五回までが、1916(大正5)年1月1日、10、12、13、14日である。
初出:「東京朝日新聞」および「大阪朝日新聞」。
   「東京朝日新聞」に第一回が1916(大正5)年1月1日に発表された。
   最終九回までの掲載日は、同10、12、13、14、17、19、20、21日である。
   「大阪朝日新聞」では、1月1日のあと、12日から15日、18日から21日までの九回である。
※ルビのうち亀甲かっこ〔〕付きのものは「漱石全集」編集部によるもので、現代仮名遣いである。
(例)墻壁《〔しょうへき〕》
※表題およびルビについて、底本の「後記」に次の記載がある(829ページ)。
「表題は原稿および新聞に従ったが、小見出しが同じものについては、「(一)」「(二)」などを補った。新聞は総ルビであるが、適宜削除した。」
入力:砂場清隆
校正:小林繁雄
2003年1月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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