で器械のように見える。
「あれは何日《いくか》掛ったら抜けるだろう」と碌さんが圭さんに質問をかける。
「一生懸命にやったら半日くらいで済むだろう」
「そうは行くまい」と碌さんが反対する。
「そうかな。じゃ一日《いちんち》かな」
「一日や二日《ふつか》で奇麗《きれい》に抜けるなら訳《わけ》はない」
「そうさ、ことによると一週間もかかるかね。見たまえ、あの丁寧に顋を撫《な》で廻しながら抜いてるのを」
「あれじゃ。古いのを抜いちまわないうちに、新しいのが生《は》えるかも知れないね」
「とにかく痛い事だろう」と圭さんは話頭《わとう》を転じた。
「痛いに違いないね。忠告してやろうか」
「なんて」
「よせってさ」
「余計な事だ。それより幾日《いくか》掛ったら、みんな抜けるか聞いて見ようじゃないか」
「うん、よかろう。君が聞くんだよ」
「僕はいやだ、君が聞くのさ」
「聞いても好《い》いがつまらないじゃないか」
「だから、まあ、よそうよ」と圭さんは自己の申《もう》し出《だ》しを惜気《おしげ》もなし撤回した。
 一度|途切《とぎ》れた村鍛冶《むらかじ》の音は、今日山里に立つ秋を、幾重《いくえ》の稲妻《いなずま》に砕《くだ》くつもりか、かあんかあんと澄み切った空の底に響き渡る。
「あの音を聞くと、どうしても豆腐屋の音が思い出される」と圭さんが腕組をしながら云う。
「全体豆腐屋の子がどうして、そんなになったもんだね」
「豆腐屋の子がどんなになったのさ」
「だって豆腐屋らしくないじゃないか」
「豆腐屋だって、肴屋《さかなや》だって――なろうと思えば、何にでもなれるさ」
「そうさな、つまり頭だからね」
「頭ばかりじゃない。世の中には頭のいい豆腐屋が何人いるか分らない。それでも生涯《しょうがい》豆腐屋さ。気の毒なものだ」
「それじゃ何だい」と碌さんが小供らしく質問する。
「何だって君、やっぱりなろうと思うのさ」
「なろうと思ったって、世の中がしてくれないのがだいぶあるだろう」
「だから気の毒だと云うのさ。不公平な世の中に生れれば仕方がないから、世の中がしてくれなくても何でも、自分でなろうと思うのさ」
「思って、なれなければ?」
「なれなくっても何でも思うんだ。思ってるうちに、世の中が、してくれるようになるんだ」と圭さんは横着《おうちゃく》を云う。
「そう注文通りに行《い》けば結構だ。ハハハハ」
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