で赤い鉄を打つと奇麗《きれい》だね。ぴちぴち火花が出る」
「出るさ、東京の真中でも出る」
「東京の真中でも出る事は出るが、感じが違うよ。こう云う山の中の鍛冶屋は第一、音から違う。そら、ここまで聞えるぜ」
 初秋《はつあき》の日脚《ひあし》は、うそ寒く、遠い国の方へ傾《かたむ》いて、淋《さび》しい山里の空気が、心細い夕暮れを促《うな》がすなかに、かあんかあんと鉄を打つ音がする。
「聞えるだろう」と圭さんが云う。
「うん」と碌《ろく》さんは答えたぎり黙然《もくねん》としている。隣りの部屋で何だか二人しきりに話をしている。
「そこで、その、相手が竹刀《しない》を落したんだあね。すると、その、ちょいと、小手《こて》を取ったんだあね」
「ふうん。とうとう小手を取られたのかい」
「とうとう小手を取られたんだあね。ちょいと小手を取ったんだが、そこがそら、竹刀《しない》を落したものだから、どうにも、こうにもしようがないやあね」
「ふうん。竹刀を落したのかい」
「竹刀は、そら、さっき、落してしまったあね」
「竹刀を落してしまって、小手を取られたら困るだろう」
「困らああね。竹刀も小手も取られたんだから」
 二人の話しはどこまで行っても竹刀と小手で持ち切っている。黙然《もくねん》として、対坐《たいざ》していた圭さんと碌さんは顔を見合わして、にやりと笑った。
 かあんかあんと鉄を打つ音が静かな村へ響き渡る。癇走《かんばし》った上に何だか心細い。
「まだ馬の沓《くつ》を打ってる。何だか寒いね、君」と圭さんは白い浴衣《ゆかた》の下で堅くなる。碌さんも同じく白地《しろじ》の単衣《ひとえ》の襟《えり》をかき合せて、だらしのない膝頭《ひざがしら》を行儀《ぎょうぎ》よく揃《そろ》える。やがて圭さんが云う。
「僕の小供の時住んでた町の真中に、一軒|豆腐屋《とうふや》があってね」
「豆腐屋があって?」
「豆腐屋があって、その豆腐屋の角《かど》から一丁ばかり爪先上《つまさきあ》がりに上がると寒磬寺《かんけいじ》と云う御寺があってね」
「寒磬寺と云う御寺がある?」
「ある。今でもあるだろう。門前から見るとただ大竹藪《おおたけやぶ》ばかり見えて、本堂も庫裏《くり》もないようだ。その御寺で毎朝四時頃になると、誰だか鉦《かね》を敲《たた》く」
「誰だか鉦を敲くって、坊主が敲くんだろう」
「坊主だか何だか分らない。
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