さ》を買いに行っても傘がない、衣物《きもの》を買いに行っても衣物がないという時代がないとも限らない。私はかつて熊本におりましたが、或る時|灰吹《はいふき》を買いに行ったことがある。ところが灰吹はないと云う。熊本中どこを尋ねても無いかと云ったら無いだろうと云う。じゃ熊本では煙草《たばこ》を喫《の》まないか痰《たん》を吐かないかというと現に煙草を喫んでいる。それでは灰吹はどうするんだと聞くと、裏の藪《やぶ》へ行って竹を伐《き》って来て拵《こしら》えるんだと教えてくれました。裏の藪から伐って来て、青竹の灰吹で間に合わしておけばよいと思っているところでは灰吹は売れない訳である。したがって売っているはずがないのである。そういう風に自分で人の厄介にならずに裏の藪へ行って竹を伐って灰吹を造るごとく、人のお世話にならないで自分の身の囲《まわ》りをなるべく多く足す、また足さなければならない時代があったものでしょう。さてその事実を極端まで辿《たど》って行くと、いっさい万事自分の生活に関した事は衣食住ともいかなる方面にせよ人のお蔭《かげ》を被《こうむ》らないで、自分だけで用を弁じておった時期があり得るという
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