で感服した事がある。記行文であったけれども普通の小説よりも面白いと思った。氏はまだ若い人である。しかも若い人に似合わず落ち付き払って、行くべき路を行って、少しも時好を追わない。是はわざと流行に反対したの何のという六《む》ずかしい意味ではなくて、氏には本来芸術的な一片の性情があって、氏はただ其性情に従うの外《ほか》、他を顧《かえり》みる暇を有《も》たないのである。余は其態度を床《ゆか》しく思った。
 尤《もっと》も今度|載《の》せる「土」の出来栄《できばえ》は、今から先を見越した様な予言が出来る程進行していない。最初余から交渉した時、節氏は自分の責任の重いのを気遣《きづか》って長い間返事を寄こさなかった。夫《それ》から漸《ようや》く遣《や》って見様という挨拶《あいさつ》が来た。夫から四十枚程原稿が来た。予告は此原稿と、氏の書信によって、草平氏が書いた。今の所余は「土」の一篇がうまく成功する事を氏のために、読者のために、且《かつ》新聞のために祈るのみである。
 有名な英国の碩学《せきがく》ミルは若い時、同じく若いテニソンをロンドン・リポジトリ紙上に紹介して、猶《なお》其次号にブラウニングを紹介しようとした。主筆から彼の批評は既に前号に載《の》せたという返書を得て調べて見ると、頁《ページ》の最後の一行にただ「ポーリン是は譫言《うわごと》なり」とあった。同雑誌の編輯者《へんしゅうしゃ》が一行余った処へ埋草に入れたものである。ブラウニングは後年人に語って、あの批評のために自分が世間に知られる機会が二十年後れたと云った。
 余が新しい作家を紹介するのは、ミルを以《もっ》て自ら任ずると云うより、かかる無責任な評論家の手から、望みのある人を救おうとする老婆心である。



底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房 
   1972(昭和47)年1月10日第1刷発行
※吉田精一による底本の「解説」によれば、発表年月は、1910(明治43)年6月。
入力:Nana ohbe
校正:米田進
2002年4月27日作成
2003年5月25日修正
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