ついてはすでに幼稚な頭の中に幾分でも髣髴《ほうふつ》できる倫理上の二大性質――善か悪かを取《と》りきめてこの錯雑《さくざつ》した光景を締《し》め括《くく》りたい希望からこういう質問をかけるものと思われます。活動写真はまだよい。ところがお伽噺《とぎばなし》や歴史の本などを見て、昔の英雄などについてやはり同様に簡単な質問をかけられる事がある。太閤様《たいこうさま》と正成《まさしげ》とどっちが偉いとか、ワシントンとナポレオンとどっちが強いとか、常陸山《ひたちやま》と弁慶と相撲《すもう》を取ったらどっちが勝つとか、中には返答に困らないのもあるが、多くは挨拶に窮する問題である。要するに複雑な内容を纏《まと》め得る程度以上に纏めた簡略な形式にして見せろと逼《せま》られるのだから困ります。もっとも近来は小学校などでも生徒に問題を出して日本の現代の人物中で誰が一番偉いかなどと聞く先生がある。この間私が或る地方へ行ったらある新聞でそういう問題を出して小学生徒から答案の投書を募《つの》っていました。その中で自分の叔父さんが一番偉いという答を寄こしたのがあると聞いてはなはだ面白く感じました。自分の親父が天下一の人物だなどは至極《しごく》好い了見《りょうけん》で結構です。それは余事であるが、とにかく先生や新聞などからして、日本にたった一人偉い人があって、その人は甲にも乙にも丙にも凌駕《りょうが》しているからあててみろというような数学的の問題を出す世の中だから子供から質問が出るのも無理はない。しかし困ります。楠正成と豊臣秀吉とどっちが偉いと云うが、見方でいろいろな結論もできるし、そう白でなければ黒といった風に手早く相場をつける訳にも行かないし、要するに複雑な智識があればあるほど面喰《めんくら》うようになります。
こんな例を御話しするのはただ馬鹿らしいから御笑草に御聞きに入れるまでの事だと御思いになるかも知れんが、実はそうではない。こう批評して見るとなるほど子供は幼稚で気の毒なものだとしかとれませんが、その幼稚で気の毒の事を大人たる我々があえてしているのだからはなはだ情ない次第で、私は大人として子供はかくのごとくたわいないものだという証拠に自分の娘や何かを例に引いたのではなく、かえって大人もまたこの例に洩《も》れぬ迂愚《うぐ》なものだという事を証明したいと思ってちょっと分りやすい小児を例に用
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