せん。けれどもまあ不入りだろうと考えながら控席へ入って休息していると、いつの間《ま》にやらこんなに人が集って来た。この講堂にかくまでつめかけられた人数の景況から推《お》すと堺と云う所はけっして吝《けち》な所ではない、偉《えら》い所に違いない。市中があれほどヒッソリしているにかかわらず、時間が来さえすればこれほど多数の聴衆がお集まりになるのは偉い、よほど講演趣味の発達した所だろうと思われる。私もせっかく東京からわざわざ出て来たものでありますから、なろうことならば講演趣味の最も発達した堺のような所で、一度でも講演をすれば誠に心持がよい。だから諸君もその志《こころざし》を諒《りょう》として、終《しま》いまで静粛にお聴きにならんことを希望します。このくらいにしてここに張り出した「中味《なかみ》と形式」という題にでも移りますかな。
 第一、題からしてあまり面白そうには見えません。中味は無論つまらなそうです。私は学会の演説は時々依頼を受けてやる事がありますが、こう云う公衆、すなわち種々の職業をもった方がお集まりになった席ではあまり御話をした経験がありません。また頼みにも来ません。頼まれてもたいていは断ります。と申すのは種々の職業をもっておられる方々の総《すべ》てに興味のあるようなことは、私の研究の範囲、あるいは興味の範囲からしてとても力に及ばないという掛念《けねん》があるからです。でなるべくは避けておりますが、やむをえず今日のような場合には、できるだけ一般の人に興味のあるために、社会問題と云うようなものを択《えら》みます。けれどもその社会の見方とかあるいは人間の観察の仕方とかがまた自然私の今日までやった学問やら研究に煩《わずら》わされてどうも好きな方ばかりへ傾《かたむ》きやすいのは免《まぬ》かれがたいところでありますから、職業の如何《いかん》、興味の如何に依っては、誠に面白くない駄弁に始って下らない饒舌《じょうぜつ》に終ることだろうと思うのです。のみならずこれからやる中味と形式という問題が今申した通りあまり乾燥して光沢気《つやけ》の乏しいみだしなのでことさら懸念《けねん》をいたします。が言訳はこのくらいでたくさんでしょうからそろそろ先へ進みましょう。
 私は家に子供がたくさんおります。女が五人に男が二人、〆《し》めて七人、それで一番上の子供が十三ですから赤ん坊に至るまでズッと順
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