当にこれを叙述せんがために、非我の事相を任意に建立《こんりゅう》するのとの差になります。したがって両者はある点において一致するのはもちろんでありますが、極端に至ると大に趣を異にするのであります。先ほど述べた幽霊の恋物語のようなものはその極端の例の一つだと思います。ここに、こんな切な恋がある。これをどう云いあらわしたらば、云い終《おお》せるかとの試問に応じて出来上った答案と見なければなりません。世の中へ出て行って、どんな恋があるか探索して来いと云う命令に基《もとづ》いた、報告書と見ては見当が違います。したがって客観的価値の少ないものができたのであります。真と認められないものになりました。だからこの話を聞くと、マグダの結末ほどには、はあなるほど、こうもあろうとか、こうあるかも知れないねと云う気にはなりません。しかしながらその代りに、ごもっともだ、こうもありたいね、こうあれかしだと云う気にはたしかになれます。あれかしと云う語は裏面に事実じゃないと云う意味を含んでおりますから、つまりは嘘だと云う事に下落してしまいます。この下落が烈《はげ》しくなるととうてい読めなくなります。馬鹿馬鹿しくなります
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