ろが似ている、歩くところが似ている以上は、客観的価値があります。いくら皮膚が似ていなくっても、足の恰好《かっこう》が似ていなくっても、髯《ひげ》の数が似ていなくっても、似ているところがあるだけそれだけ客観的価値のある比較であります。しかしながら、もし以上の点において類似を主張するならば、よりよき類似を主張する比較物はいくらでもあるはずであります。例えばあの人は父に似ているとかまたは母のごとしとか云う方が虎のごとしと云うよりも遥《はる》かに穏当《おんとう》であります。立派な perceptual な叙述ができるはずであります。しかるにこれを棄《す》てて客観的価値のもっとも少ない[#「客観的価値のもっとも少ない」に傍点]虎を持って来たのは、すべての不類似のうちに獰猛《ねいもう》の一点を撰択[#「撰択」に傍点]してもっとも大切な類似と認めたからであります。さてこの撰択[#「撰択」に傍点]は前に云った通り我々の注意できまるので、云い換えると我々の態度で決せられるのであります。ではこの際の態度は客観か主観かと云う問題になります。獰猛《ねいもう》を客観的に虎の属性と見傚《みな》せば獰猛はついに虎の
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