「向け」に傍点]具合がすなわち態度であると申しても差支《さしつかえ》なかろうと思います。(注意そのものの性質や発達はここには述べません)私が先年|倫敦《ロンドン》におった時、この間|亡《な》くなられた浅井先生と市中を歩いた事があります。その時浅井先生はどの町へ出ても、どの建物を見ても、あれは好い色だ、これは好い色だ、と、とうとう家へ帰るまで色尽しでおしまいになりました。さすが画伯だけあって、違ったものだ、先生は色で世界が出来上がってると考えてるんだなと大に悟りました。するとまた私の下宿に退職の軍人で八十ばかりになる老人がおりました。毎日同じ時間に同じ所を散歩をする器械のような男でしたが、この老人が外へ出るときっと杓子《しゃくし》を拾って来る。もっとも日本の飯杓子《めしじゃくし》のような大きなものではありません。小供の玩具《おもちゃ》にするブリッキ製の匙《さじ》であります。下宿の婆さんに聞いて見ると往来に落ちているんだと申します。しかし私が散歩したって、いまだかつて落ちていた事がありません。しかるに爺さんだけは不思議に拾って来る。そうして、これを叮嚀《ていねい》に室の中へ並べます。何でも
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