点が注意に伴《つ》れて明暸《めいりょう》になり得るのだと申します。これは時を離れて云う事であります。前に一刻中と云ったのは、まあ形容の語と思っていただけばよろしい。例えば私がこの演壇に立ってちょっと見廻わすと、千余人の顔が一度に眼に這入《はい》る。這入ったと云う感じはありますが、何となく同じ顔で、悪く云うと眼も鼻も揃《そろ》っていない人が並んでおいでになる。あながち私が度胸が据《すわ》らないで眼がちらちらするばかりではない。こう、漠然《ばくぜん》たるのが本来で、心理学者の保証するところであります。しかしこの際は不幸にして、別段私の注意を惹《ひ》くものがないから、ただ漠然たるのみで、別に明暸なるところがありません。もし演壇のすぐ前に美くしい衣装《いしょう》を着けた美くしい婦人でもおられたら、その周囲六尺ばかりは大いに明暸になるかも知れませんが、惜しい事においでにならんから、完全に私の心理状態を説明する訳に参りません。そこでこの漠然たる限界の広い内容を意識界と云って、そのうちで比較的明暸な点を焦点と申します。これは前《ぜん》申した通り時間の経過に重きを置かない simultaneous の
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