《かんよう》を受けるので、また異趣味のものに逢着《ほうちゃく》するために啓発されるので、また高い趣味に引きつけられるがために、向上化するのであります。そうして世の中の運転は七分以上この趣味の発現に因《よ》るのでありますから、この趣味が孤立して立枯《たちが》れの姿になると、世の中の進行はとまります。とまらない部分は器械のように進行するのみであります。「誰さんは金が欲しいために、奥さんを離別しました」「そうか、それも一つの事実さね」「あの男は芸者を受け出すために泥棒をしたそうです」「はあ、それも一つの事実さね」「誰さんは、ちっとも約束を守らないで困りますよ」「なるほどそれも一つの事実だね」――こう事実ずくめで、ひどい奴《やつ》だとも感心な男だとも思わなかった日には、懐手《ふところで》をして、世の中を眺めているだけで、善にも移らないし、悪をも避けないし、壮挙をも企て得ないし、下劣をも恥じないし、花晨月夕《かしんげっせき》の興も尽きはてようし、夫婦としても、朋友《ほうゆう》としても、親子としても、通用しない人間になるでしょう。
ここまで来て、気がついて見ると、客観、主観両方面の文学には妙な差
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