識で外界を観、ある態度で世相を眺め、そうしてそれが真《しん》の外界で、また真の世相と思っている。ところが何かの拍子《ひょうし》で全然種類の違った人――商人でも、政事家でもあるいは宗教家でも何でもよろしい。なるべく縁の遠い関係の薄い先生方に逢《あ》って、その人々の意見を聞いて見ると驚ろく事があります。それらの人の世界観に誤謬《ごびゅう》があるので驚くと云うよりも、世の中はこうも観られるものかと感心する方の驚ろき方であります。ちょうど前に述べた我々が月の恰好《かっこう》に対する考えの差と同じであります。こう云うと人間がばらばらになって、相互の心に統一がない、極《きわ》めて不安な心持になりますが、その代り、誰がどう見ても変らない立場におって、申し合せたように一致した態度に出る事もたくさんあるから、そう苦になるほどの混雑も起らないのであります。(少なくとも実際上)ジェームスと云う人が吾人の意識するところの現象は皆|撰択《せんたく》を経《へ》たものだと云う事を論じているうちに、こんな例を挙《あ》げています。――撰択の議論はとにかく、その例がここの説明にはもっとも適切だと思いますから、ちょっと借用
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