よほどの数になっておりました。で私は感心しました。ほかの事に感心した訳でもありませんが、この爺さんの世界観が杓子から出来上ってるのに尠《すく》なからず感心したのであります。これはただに一例であります。詳《くわ》しく云うと講演の冒頭に述べたごとく十人十色で、いくらでも不思議な世界を任意に作っているようであります。中にもカントとかヘーゲルとかいう哲学者になるととうてい普通の人には解し得ない世界を建立《こんりゅう》されたかのごとく思われます。
 こう複雑に発展した世界を、出来上ったものとして、一々御紹介する事は、とてもできませんから、分りやすいため、極めて単純な経験で一般の人に共通なものを取って、経験者の態度がいかに分岐して行くかと云う事を御話して、その態度の変化がすなわち創作家の態度の変化にも応用ができるものだと云う意味を説明しようと思います。極《きわ》めて単純な所だけ、大体の点のみしか申されませんが、幾分か根本義の解釈にもなろうかと存じて、思い立った訳であります。
 まず吾人の経験でもっとも単純なものは sensation であります。近頃の心理学では、この字に一種限定的の意味を附して、ある単純なる全部経験の一方面をあらわす事になっておりますが、私は便宜《べんぎ》のため全部経験の意義に用います。ただ便宜のために用いるのですから、実際の衝突のない事は私の説明を御聞になれば御分りになるだろうと思います。それからある心理学者は sensation は分解の結果到着する単純な経験で、現実な吾人の経験はもっと複雑なところから始まっているじゃないかと云ってるようですが、それも構いません。ただ sensation が単純な経験をあらわせば、私の目的には宜《よろ》しいのであります。もし不都合なら、そんな字を借用しないでもよろしい。面倒な事を云わないで、例でもって御話をすれば、早く合点《がてん》が行かれますから、すぐさま例に取りかかります。
 時々|酒問屋《さかどんや》の前などを御通りになると、目暗縞《めくらじま》の着物で唐桟《とうざん》の前垂《まえだれ》を三角に、小倉《こくら》の帯へ挟《はさ》んだ番頭さんが、菰被《こもかぶ》りの飲口《のみぐち》をゆるめて、樽《たる》の中からわずかばかりの酒を、もったいなそうに猪口《ちょく》に受けて舌の先へ持って行くところを御覧になる事があるでしょう。
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