五六段手にとるように見える。大方《おおかた》御寺だろう。
 入口の襖《ふすま》をあけて椽《えん》へ出ると、欄干《らんかん》が四角に曲って、方角から云えば海の見ゆべきはずの所に、中庭を隔《へだ》てて、表二階の一間《ひとま》がある。わが住む部屋も、欄干に倚《よ》ればやはり同じ高さの二階なのには興が催おされる。湯壺《ゆつぼ》は地《じ》の下にあるのだから、入湯《にゅうとう》と云う点から云えば、余は三層楼上に起臥《きが》する訳になる。
 家は随分広いが、向う二階の一間と、余が欄干に添うて、右へ折れた一間のほかは、居室《いま》台所は知らず、客間と名がつきそうなのは大抵《たいてい》立て切ってある。客は、余をのぞくのほかほとんど皆無《かいむ》なのだろう。|〆《しめ》た部屋は昼も雨戸《あまど》をあけず、あけた以上は夜も閉《た》てぬらしい。これでは表の戸締りさえ、するかしないか解らん。非人情の旅にはもって来いと云う屈強《くっきょう》な場所だ。
 時計は十二時近くなったが飯《めし》を食わせる景色はさらにない。ようやく空腹を覚えて来たが、空山《くうざん》不見人《ひとをみず》と云う詩中にあると思うと、一とかたげぐらい倹約しても遺憾《いかん》はない。画《え》をかくのも面倒だ、俳句は作らんでもすでに俳三昧《はいざんまい》に入っているから、作るだけ野暮《やぼ》だ。読もうと思って三脚几《さんきゃくき》に括《くく》りつけて来た二三冊の書籍もほどく気にならん。こうやって、煦々《くく》たる春日《しゅんじつ》に背中《せなか》をあぶって、椽側《えんがわ》に花の影と共に寝ころんでいるのが、天下の至楽《しらく》である。考えれば外道《げどう》に堕《お》ちる。動くと危ない。出来るならば鼻から呼吸《いき》もしたくない。畳から根の生えた植物のようにじっとして二週間ばかり暮して見たい。
 やがて、廊下に足音がして、段々下から誰か上《あが》ってくる。近づくのを聞いていると、二人らしい。それが部屋の前でとまったなと思ったら、一人は何《なん》にも云わず、元の方へ引き返す。襖《ふすま》があいたから、今朝の人と思ったら、やはり昨夜《ゆうべ》の小女郎《こじょろう》である。何だか物足らぬ。
「遅くなりました」と膳《ぜん》を据《す》える。朝食《あさめし》の言訳も何にも言わぬ。焼肴《やきざかな》に青いものをあしらって、椀《わん》の蓋《ふた》
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