溷濁《ぎょうきこんだく》の俗界を清くうららかに収め得《う》れば足《た》る。この故に無声《むせい》の詩人には一句なく、無色《むしょく》の画家には尺※[#「糸+賺のつくり」、第3水準1−90−17]《せっけん》なきも、かく人世《じんせい》を観じ得るの点において、かく煩悩《ぼんのう》を解脱《げだつ》するの点において、かく清浄界《しょうじょうかい》に出入《しゅつにゅう》し得るの点において、またこの不同不二《ふどうふじ》の乾坤《けんこん》を建立《こんりゅう》し得るの点において、我利私慾《がりしよく》の覊絆《きはん》を掃蕩《そうとう》するの点において、――千金《せんきん》の子よりも、万乗《ばんじょう》の君よりも、あらゆる俗界の寵児《ちょうじ》よりも幸福である。
世に住むこと二十年にして、住むに甲斐《かい》ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏《ひょうり》のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日《こんにち》はこう思うている。――喜びの深きとき憂《うれい》いよいよ深く、楽《たのし》みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片《かた》づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖《ふ》えれば寝《ね》る間《ま》も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支《ささ》えている。背中《せなか》には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽《あ》き足《た》らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……
余《よ》の考《かんがえ》がここまで漂流して来た時に、余の右足《うそく》は突然|坐《すわ》りのわるい角石《かくいし》の端《はし》を踏み損《そ》くなった。平衡《へいこう》を保つために、すわやと前に飛び出した左足《さそく》が、仕損《しそん》じの埋《う》め合《あわ》せをすると共に、余の腰は具合よく方《ほう》三尺ほどな岩の上に卸《お》りた。肩にかけた絵の具箱が腋《わき》の下から躍《おど》り出しただけで、幸いと何《なん》の事もなかった。
立ち上がる時に向うを見ると、路《みち》から左の方にバケツを伏せたような峰が聳《そび》えている。杉か檜《ひのき》か分からないが根元《ねもと》から頂《いただ》きまでことごとく蒼黒《あおぐろ》い中に、山桜が薄赤くだんだらに棚引《たなび》いて、続《つ》
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