[さを充《み》たすには足らぬ。思うに水盂《すいう》の中《うち》から、一滴の水を銀杓《ぎんしゃく》にて、蜘蛛《くも》の背に落したるを、貴《とうと》き墨に磨《す》り去るのだろう。それでなければ、名は硯でも、その実は純然たる文房用《ぶんぼうよう》の装飾品に過ぎぬ。
老人は涎《よだれ》の出そうな口をして云う。
「この肌合《はだあい》と、この眼《がん》を見て下さい」
なるほど見れば見るほどいい色だ。寒く潤沢《じゅんたく》を帯びたる肌の上に、はっと、一息懸《ひといきか》けたなら、直《ただ》ちに凝《こ》って、一朶《いちだ》の雲を起すだろうと思われる。ことに驚くべきは眼の色である。眼の色と云わんより、眼と地の相交《あいまじ》わる所が、次第に色を取り替えて、いつ取り替えたか、ほとんど吾眼《わがめ》の欺《あざむ》かれたるを見出し得ぬ事である。形容して見ると紫色の蒸羊羹《むしようかん》の奥に、隠元豆《いんげんまめ》を、透《す》いて見えるほどの深さに嵌《は》め込んだようなものである。眼と云えば一個二個でも大変に珍重される。九個と云ったら、ほとんど類《るい》はあるまい。しかもその九個が整然と同距離に按排《あんばい》されて、あたかも人造のねりものと見違えらるるに至ってはもとより天下の逸品《いっぴん》をもって許さざるを得ない。
「なるほど結構です。観《み》て心持がいいばかりじゃありません。こうして触《さわ》っても愉快です」と云いながら、余は隣りの若い男に硯を渡した。
「久一《きゅういち》に、そんなものが解るかい」と老人が笑いながら聞いて見る。久一君は、少々自棄《やけ》の気味で、
「分りゃしません」と打ち遣《や》ったように云い放ったが、わからん硯を、自分の前へ置いて、眺《なが》めていては、もったいないと気がついたものか、また取り上げて、余に返した。余はもう一|遍《ぺん》丁寧に撫《な》で廻わした後《のち》、とうとうこれを恭《うやうや》しく禅師《ぜんじ》に返却した。禅師はとくと掌《て》の上で見済ました末、それでは飽《あ》き足らぬと考えたと見えて、鼠木綿《ねずみもめん》の着物の袖《そで》を容赦なく蜘蛛《くも》の背へこすりつけて、光沢《つや》の出た所をしきりに賞翫《しょうがん》している。
「隠居さん、どうもこの色が実に善《よ》いな。使うた事があるかの」
「いいや、滅多《めった》には使いとう、ないから、
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