不快の上に跨《また》がって、一般の人類をひろく見渡しながら微笑しているのである。今までつまらない事を書いた自分をも、同じ眼で見渡して、あたかもそれが他人であったかの感を抱《いだ》きつつ、やはり微笑しているのである。
まだ鶯《うぐいす》が庭で時々鳴く。春風が折々思い出したように九花蘭《きゅうからん》の葉を揺《うご》かしに来る。猫がどこかで痛《いた》く噛《か》まれた米噛《こめかみ》を日に曝《さら》して、あたたかそうに眠っている。先刻《さっき》まで庭で護謨風船《ゴムふうせん》を揚《あ》げて騒いでいた小供達は、みんな連れ立って活動写真へ行ってしまった。家も心もひっそりとしたうちに、私は硝子戸《ガラスど》を開け放って、静かな春の光に包まれながら、恍惚《うっとり》とこの稿を書き終るのである。そうした後で、私はちょっと肱《ひじ》を曲げて、この縁側《えんがわ》に一眠り眠るつもりである。
[#地から1字上げ](二月十四日)
底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年7月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
1971(昭和46)年4月〜1972(昭和47)年1月
入力:柴田卓治
校正:大野晋
1999年8月22日公開
2004年2月26日修正
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