者屋の竹格子《たけごうし》の窓から、「今日《こんち》は」などと声をかけられたりする。それをまた待ち受けてでもいるごとくに、連中は「おいちょっとおいで、好いものあるから」とか何とか云って、女を呼び寄せようとする。芸者の方でも昼間は暇だから、三度に一度は御愛嬌《ごあいきょう》に遊びに来る。といった風の調子であった。
 私はその頃まだ十七八だったろう、その上大変な羞恥屋《はにかみや》で通っていたので、そんな所に居合わしても、何にも云わずに黙って隅《すみ》の方に引込《ひっこ》んでばかりいた。それでも私は何かの拍子《ひょうし》で、これらの人々といっしょに、その芸者屋へ遊びに行って、トランプをした事がある。負けたものは何か奢《おご》らなければならないので、私は人の買った寿司《すし》や菓子をだいぶ食った。
 一週間ほど経《た》ってから、私はまたこののらくらの兄に連れられて同じ宅へ遊びに行ったら、例の庄さんも席に居合わせて話がだいぶはずんだ。その時|咲松《さきまつ》という若い芸者が私の顔を見て、「またトランプをしましょう」と云った。私は小倉《こくら》の袴《はかま》を穿《は》いて四角張っていたが、懐中には一銭の小遣《こづかい》さえ無かった。
「僕は銭《ぜに》がないから厭《いや》だ」
「好いわ、私《わたし》が持ってるから」
 この女はその時眼を病んででもいたのだろう、こういいいい、綺麗《きれい》な襦袢《じゅばん》の袖《そで》でしきりに薄赤くなった二重瞼《ふたえまぶち》を擦《こす》っていた。
 その後《ご》私は「御作《おさく》が好い御客に引かされた」という噂《うわさ》を、従兄《いとこ》の家《うち》で聞いた。従兄の家では、この女の事を咲松《さきまつ》と云わないで、常に御作御作と呼んでいたのである。私はその話を聞いた時、心の内でもう御作に会う機会も来《こ》ないだろうと考えた。
 ところがそれからだいぶ経って、私が例の達人《たつじん》といっしょに、芝の山内《さんない》の勧工場《かんこうば》へ行ったら、そこでまたぱったり御作に出会った。こちらの書生姿に引《ひ》き易《か》えて、彼女はもう品《ひん》の好い奥様に変っていた。旦那というのも彼女の傍《そば》についていた。……
 私は床屋の亭主の口から出た東家《あずまや》という芸者屋の名前の奥に潜《ひそ》んでいるこれだけの古い事実を急に思い出したのである。
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