向わなければならないと思う。すでに生の中に活動する自分を認め、またその生の中に呼吸する他人を認める以上は、互いの根本義はいかに苦しくてもいかに醜くてもこの生の上に置かれたものと解釈するのが当り前であるから。
「もし生きているのが苦痛なら死んだら好いでしょう」
 こうした言葉は、どんなに情《なさけ》なく世を観ずる人の口からも聞き得ないだろう。医者などは安らかな眠に赴《おも》むこうとする病人に、わざと注射の針を立てて、患者の苦痛を一刻でも延ばす工夫を凝《こ》らしている。こんな拷問《ごうもん》に近い所作《しょさ》が、人間の徳義として許されているのを見ても、いかに根強く我々が生の一字に執着《しゅうちゃく》しているかが解る。私はついにその人に死をすすめる事ができなかった。
 その人はとても回復の見込みのつかないほど深く自分の胸を傷《きずつ》けられていた。同時にその傷が普通の人の経験にないような美くしい思い出の種となってその人の面《おもて》を輝やかしていた。
 彼女はその美くしいものを宝石のごとく大事に永久彼女の胸の奥に抱《だ》き締《し》めていたがった。不幸にして、その美くしいものはとりも直さず彼女を死以上に苦しめる手傷《てきず》そのものであった。二つの物は紙の裏表のごとくとうてい引き離せないのである。
 私は彼女に向って、すべてを癒《いや》す「時」の流れに従って下《くだ》れと云った。彼女はもしそうしたらこの大切な記憶がしだいに剥《は》げて行くだろうと嘆いた。
 公平な「時」は大事な宝物《たからもの》を彼女の手から奪う代りに、その傷口もしだいに療治してくれるのである。烈《はげ》しい生の歓喜を夢のように暈《ぼか》してしまうと同時に、今の歓喜に伴なう生々《なまなま》しい苦痛も取《と》り除《の》ける手段を怠《おこ》たらないのである。
 私は深い恋愛に根ざしている熱烈な記憶を取り上げても、彼女の創口《きずぐち》から滴《したた》る血潮を「時」に拭《ぬぐ》わしめようとした。いくら平凡でも生きて行く方が死ぬよりも私から見た彼女には適当だったからである。
 かくして常に生よりも死を尊《たっと》いと信じている私の希望と助言は、ついにこの不愉快に充《み》ちた生というものを超越する事ができなかった。しかも私にはそれが実行上における自分を、凡庸《ぼんよう》な自然主義者として証拠《しょうこ》立てたように
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