五六時間の手間《てま》をかけて、どこからどこまで丹念に塗り上げている。これほどの骨折は、ただに病中の根気仕事としてよほどの決心を要するのみならず、いかにも無雑作《むぞうさ》に俳句や歌を作り上げる彼の性情から云っても、明かな矛盾である。思うに画と云う事に初心《しょしん》な彼は当時絵画における写生の必要を不折《ふせつ》などから聞いて、それを一草一花の上にも実行しようと企《くわだ》てながら、彼が俳句の上ですでに悟入した同一方法を、この方面に向って適用する事を忘れたか、または適用する腕がなかったのであろう。
 東菊によって代表された子規の画は、拙《まず》くてかつ真面目《まじめ》である。才を呵《か》して直ちに章をなす彼の文筆が、絵の具皿に浸《ひた》ると同時に、たちまち堅くなって、穂先の運行がねっとり竦《すく》んでしまったのかと思うと、余は微笑を禁じ得ないのである。虚子《きょし》が来てこの幅《ふく》を見た時、正岡の絵は旨いじゃありませんかと云ったことがある。余はその時、だってあれだけの単純な平凡な特色を出すのに、あのくらい時間と労力を費さなければならなかったかと思うと、何だか正岡の頭と手が、いらざる働きを余儀なくされた観があるところに、隠し切れない拙《せつ》が溢《あふ》れていると思うと答えた。馬鹿律義《ばかりちぎ》なものに厭味《いやみ》も利《き》いた風もありようはない。そこに重厚な好所《こうしょ》があるとすれば、子規の画はまさに働きのない愚直ものの旨さである。けれども一線一画の瞬間作用で、優に始末をつけられべき特長を、とっさに弁ずる手際《てぎわ》がないために、やむをえず省略の捷径《しょうけい》を棄《す》てて、几帳面《きちょうめん》な塗抹《とまつ》主義を根気に実行したとすれば、拙の一字はどうしても免《まぬか》れがたい。
 子規は人間として、また文学者として、最も「拙」の欠乏した男であった。永年《えいねん》彼と交際をしたどの月にも、どの日にも、余はいまだかつて彼の拙を笑い得るの機会を捉《とら》え得《え》た試《ためし》がない。また彼の拙に惚《ほ》れ込んだ瞬間の場合さえもたなかった。彼の歿後ほとんど十年になろうとする今日《こんにち》、彼のわざわざ余のために描いた一輪の東菊の中《うち》に、確《たしか》にこの一拙字を認める事のできたのは、その結果が余をして失笑せしむると、感服せしむるとに論
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