。この二、三年むやみにふえたのでね。便利になってかえって困る。ぼくの学問と同じことだ」と言って笑った。
 学期の始まりぎわなので新しい高等学校の帽子をかぶった生徒がだいぶ通る。野々宮君は愉快そうに、この連中《れんじゅう》を見ている。
「だいぶ新しいのが来ましたね」と言う。「若い人は活気があっていい。ときに君はいくつですか」と聞いた。三四郎は宿帳へ書いたとおりを答えた。すると、
「それじゃぼくより七つばかり若い。七年もあると、人間はたいていの事ができる。しかし月日《つきひ》はたちやすいものでね。七年ぐらいじきですよ」と言う。どっちが本当なんだか、三四郎にはわからなかった。
 四角《よつかど》近くへ来ると左右に本屋と雑誌屋がたくさんある。そのうちの二、三軒には人が黒山のようにたかっている、そうして雑誌を読んでいる。そうして買わずに行ってしまう。野々宮君は、
「みんなずるいなあ」と言って笑っている。もっとも当人もちょいと太陽をあけてみた。
 四角へ出ると、左手のこちら側に西洋|小間物屋《こまものや》があって、向こう側に日本小間物屋がある。そのあいだを電車がぐるっと曲がって、非常な勢いで通る。ベルがちんちんちんちんいう。渡りにくいほど雑踏する。野々宮君は、向こうの小間物屋をさして、
「あすこでちょいと買物をしますからね」と言って、ちりんちりんと鳴るあいだを駆け抜けた。三四郎もくっついて、向こうへ渡った。野々宮君はさっそく店へはいった。表に待っていた三四郎が、気がついて見ると、店先のガラス張りの棚《たな》に櫛《くし》だの花簪《はなかんざし》だのが並べてある。三四郎は妙に思った。野々宮君が何を買っているのかしらと、不審を起こして、店の中へはいってみると、蝉《せみ》の羽根のようなリボンをぶら下げて、
「どうですか」と聞かれた。三四郎はこの時自分も何か買って、鮎《あゆ》のお礼に三輪田のお光さんに送ってやろうかと思った。けれどもお光さんが、それをもらって、鮎のお礼と思わずに、きっとなんだかんだと手前がっての理屈をつけるに違いないと考えたからやめにした。
 それから真砂町《まさごちょう》で野々宮君に西洋料理のごちそうになった。野々宮君の話では本郷でいちばんうまい家《うち》だそうだ。けれども三四郎にはただ西洋料理の味がするだけであった。しかし食べることはみんな食べた。
 西洋料理屋の前で野々宮君に別れて、追分《おいわけ》に帰るところを丁寧にもとの四角まで出て、左へ折れた。下駄《げた》を買おうと思って、下駄屋をのぞきこんだら、白熱ガスの下に、まっ白に塗り立てた娘が、石膏《せっこう》の化物のようにすわっていたので、急にいやになってやめた。それから家《うち》へ帰るあいだ、大学の池の縁で会った女の、顔の色ばかり考えていた。――その色は薄く餅《もち》をこがしたような狐色《きつねいろ》であった。そうして肌理《きめ》が非常に細かであった。三四郎は、女の色は、どうしてもあれでなくってはだめだと断定した。

       三

 学年は九月十一日に始まった。三四郎は正直に午前十時半ごろ学校へ行ってみたが、玄関前の掲示場に講義の時間割りがあるばかりで学生は一人《ひとり》もいない。自分の聞くべき分だけを手帳に書きとめて、それから事務室へ寄ったら、さすがに事務員だけは出ていた。講義はいつから始まりますかと聞くと、九月十一日から始まると言っている。すましたものである。でも、どの部屋《へや》を見ても講義がないようですがと尋ねると、それは先生がいないからだと答えた。三四郎はなるほどと思って事務室を出た。裏へ回って、大きな欅《けやき》の下から高い空をのぞいたら、普通の空よりも明らかに見えた。熊笹《くまざさ》の中を水ぎわへおりて、例の椎《しい》の木の所まで来て、またしゃがんだ。あの女がもう一ぺん通ればいいくらいに考えて、たびたび丘の上をながめたが、丘の上には人影もしなかった。三四郎はそれが当然だと考えた。けれどもやはりしゃがんでいた。すると、午砲《どん》が鳴ったんで驚いて下宿へ帰った。
 翌日は正八時に学校へ行った。正門をはいると、とっつきの大通りの左右に植えてある銀杏《いちょう》の並木が目についた。銀杏が向こうの方で尽きるあたりから、だらだら坂に下がって、正門のきわに立った三四郎から見ると、坂の向こうにある理科大学は二階の一部しか出ていない。その屋根のうしろに朝日を受けた上野の森が遠く輝いている。日は正面にある。三四郎はこの奥行のある景色《けしき》を愉快に感じた。
 銀杏の並木がこちら側で尽きる右手には法文科大学がある。左手には少しさがって博物の教室がある。建築は双方ともに同じで、細長い窓の上に、三角にとがった屋根が突き出している。その三角の縁に当る赤煉瓦《あかれんが》と黒い屋根のつぎめの所が細い石の直線でできている。そうしてその石の色が少し青味を帯びて、すぐ下にくるはでな赤煉瓦に一種の趣を添えている。そうしてこの長い窓と、高い三角が横にいくつも続いている。三四郎はこのあいだ野々宮君の説を聞いてから以来、急にこの建物をありがたく思っていたが、けさは、この意見が野々宮君の意見でなくって、初手《しょて》から自分の持説であるような気がしだした。ことに博物室が法文科と一直線に並んでいないで、少し奥へ引っ込んでいるところが不規則で妙だと思った。こんど野々宮君に会ったら自分の発明としてこの説を持ち出そうと考えた。
 法文科の右のはずれから半町ほど前へ突き出している図書館にも感服した。よくわからないがなんでも同じ建築だろうと考えられる。その赤い壁につけて、大きな棕櫚《しゅろ》の木を五、六本植えたところが大いにいい。左手のずっと奥にある工科大学は封建時代の西洋のお城から割り出したように見えた。まっ四角にできあがっている。窓も四角である。ただ四すみと入口が丸い。これは櫓《やぐら》を形取ったんだろう。お城だけにしっかりしている。法文科みたように倒れそうでない。なんだか背《せい》の低い相撲取《すもうと》りに似ている。
 三四郎は見渡すかぎり見渡して、このほかにもまだ目に入らない建物がたくさんあることを勘定に入れて、どことなく雄大な感じを起こした。「学問の府はこうなくってはならない。こういう構えがあればこそ研究もできる。えらいものだ」――三四郎は大学者になったような心持ちがした。
 けれども教室へはいってみたら、鐘は鳴っても先生は来なかった。その代り学生も出て来ない。次の時間もそのとおりであった。三四郎は癇癪《かんしゃく》を起こして教場を出た。そうして念のために池の周囲《まわり》を二へんばかり回って下宿へ帰った。
 それから約十日ばかりたってから、ようやく講義が始まった。三四郎がはじめて教室へはいって、ほかの学生といっしょに先生の来るのを待っていた時の心持ちはじつに殊勝《しゅしょう》なものであった。神主《かんぬし》が装束《しょうぞく》を着けて、これから祭典でも行なおうとするまぎわには、こういう気分がするだろうと、三四郎は自分で自分の了見を推定した。じっさい学問の威厳に打たれたに違いない。それのみならず、先生がベルが鳴って十五分立っても出て来ないのでますます予期から生ずる敬畏《けいい》の念を増した。そのうち人品のいいおじいさんの西洋人が戸をあけてはいってきて、流暢《りゅうちょう》な英語で講義を始めた。三四郎はその時 answer《アンサー》 という字はアングロ・サクソン語の and−swaru《アンド・スワル》 から出たんだということを覚えた。それからスコットの通った小学校の村の名を覚えた。いずれも大切に筆記帳にしるしておいた。その次には文学論の講義に出た。この先生は教室にはいって、ちょっと黒板《ボールド》をながめていたが、黒板の上に書いてある Geschehen《ゲシェーヘン》 という字と Nachbild《ナハビルド》 という字を見て、はあドイツ語かと言って、笑いながらさっさと消してしまった。三四郎はこれがためにドイツ語に対する敬意を少し失ったように感じた。先生は、それから古来文学者が文学に対して下した定義をおよそ二十ばかり並べた。三四郎はこれも大事に手帳に筆記しておいた。午後は大教室に出た。その教室には約七、八十人ほどの聴講者がいた。したがって先生も演説|口調《くちょう》であった。砲声一発|浦賀《うらが》の夢を破ってという冒頭《ぼうとう》であったから、三四郎はおもしろがって聞いていると、しまいにはドイツの哲学者の名がたくさん出てきてはなはだ解《げ》しにくくなった。机の上を見ると、落第という字がみごとに彫ってある。よほど暇に任せて仕上げたものとみえて、堅い樫《かし》の板をきれいに切り込んだてぎわは素人《しろうと》とは思われない。深刻のできである。隣の男は感心に根気よく筆記をつづけている。のぞいて見ると筆記ではない。遠くから先生の似顔をポンチにかいていたのである。三四郎がのぞくやいなや隣の男はノートを三四郎の方に出して見せた。絵はうまくできているが、そばに久方《ひさかた》の雲井《くもい》の空の子規《ほととぎす》と書いてあるのは、なんのことだか判じかねた。
 講義が終ってから、三四郎はなんとなく疲労したような気味で、二階の窓から頬杖《ほおづえ》を突いて、正門内の庭を見おろしていた。ただ大きな松や桜を植えてそのあいだに砂利《じゃり》を敷いた広い道をつけたばかりであるが、手を入れすぎていないだけに、見ていて心持ちがいい。野々宮君の話によるとここは昔はこうきれいではなかった。野々宮君の先生のなんとかいう人が、学生の時分馬に乗って、ここを乗り回すうち、馬がいうことを聞かないで、意地を悪くわざと木の下を通るので、帽子が松の枝に引っかかる。下駄の歯が鐙《あぶみ》にはさまる。先生はたいへん困っていると、正門前の喜多床《きたどこ》という髪結床《かみゆいどこ》の職人がおおぜい出てきて、おもしろがって笑っていたそうである。その時分には有志の者が醵金《きょきん》して構内に厩《うまや》をこしらえて、三頭の馬と、馬の先生とを飼っておいた。ところが先生がたいへんな酒飲みで、とうとう三頭のうちのいちばんいい白い馬を売って飲んでしまった。それはナポレオン三世時代の老馬であったそうだ。まさかナポレオン三世時代でもなかろう。しかしのん気な時代もあったものだと考えていると、さっきポンチ絵をかいた男が来て、
「大学の講義はつまらんなあ」と言った。三四郎はいいかげんな返事をした。じつはつまるかつまらないか、三四郎にはちっとも判断ができないのである。しかしこの時からこの男と口をきくようになった。
 その日はなんとなく気が鬱《うっ》して、おもしろくなかったので、池の周囲《まわり》を回ることは見合わせて家《うち》へ帰った。晩食後筆記を繰り返して読んでみたが、べつに愉快にも不愉快にもならなかった。母に言文一致の手紙を書いた。――学校は始まった。これから毎日出る。学校はたいへん広いいい場所で、建物もたいへん美しい。まん中に池がある。池の周囲を散歩するのが楽しみだ。電車には近ごろようやく乗り馴れた。何か買ってあげたいが、何がいいかわからないから、買ってあげない。ほしければそっちから言ってきてくれ。今年《ことし》の米はいまに価《ね》が出るから、売らずにおくほうが得だろう。三輪田のお光さんにはあまり愛想《あいそ》よくしないほうがよかろう。東京へ来てみると人はいくらでもいる。男も多いが女も多い。というような事をごたごた並べたものであった。
 手紙を書いて、英語の本を六、七ページ読んだらいやになった。こんな本を一冊ぐらい読んでもだめだと思いだした。床を取って寝ることにしたが、寝つかれない。不眠症になったらはやく病院に行って見てもらおうなどと考えているうちに寝てしまった。
 あくる日も例刻に学校へ行って講義を聞いた。講義のあいだに今年の卒業生がどこそこへいくらで売れたという話を耳にした。だれとだれがまだ残っていて、それがある官立学校の地位を競争してい
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