こを乗り回すうち、馬がいうことを聞かないで、意地を悪くわざと木の下を通るので、帽子が松の枝に引っかかる。下駄の歯が鐙《あぶみ》にはさまる。先生はたいへん困っていると、正門前の喜多床《きたどこ》という髪結床《かみゆいどこ》の職人がおおぜい出てきて、おもしろがって笑っていたそうである。その時分には有志の者が醵金《きょきん》して構内に厩《うまや》をこしらえて、三頭の馬と、馬の先生とを飼っておいた。ところが先生がたいへんな酒飲みで、とうとう三頭のうちのいちばんいい白い馬を売って飲んでしまった。それはナポレオン三世時代の老馬であったそうだ。まさかナポレオン三世時代でもなかろう。しかしのん気な時代もあったものだと考えていると、さっきポンチ絵をかいた男が来て、
「大学の講義はつまらんなあ」と言った。三四郎はいいかげんな返事をした。じつはつまるかつまらないか、三四郎にはちっとも判断ができないのである。しかしこの時からこの男と口をきくようになった。
 その日はなんとなく気が鬱《うっ》して、おもしろくなかったので、池の周囲《まわり》を回ることは見合わせて家《うち》へ帰った。晩食後筆記を繰り返して読んでみたが、べつに愉快にも不愉快にもならなかった。母に言文一致の手紙を書いた。――学校は始まった。これから毎日出る。学校はたいへん広いいい場所で、建物もたいへん美しい。まん中に池がある。池の周囲を散歩するのが楽しみだ。電車には近ごろようやく乗り馴れた。何か買ってあげたいが、何がいいかわからないから、買ってあげない。ほしければそっちから言ってきてくれ。今年《ことし》の米はいまに価《ね》が出るから、売らずにおくほうが得だろう。三輪田のお光さんにはあまり愛想《あいそ》よくしないほうがよかろう。東京へ来てみると人はいくらでもいる。男も多いが女も多い。というような事をごたごた並べたものであった。
 手紙を書いて、英語の本を六、七ページ読んだらいやになった。こんな本を一冊ぐらい読んでもだめだと思いだした。床を取って寝ることにしたが、寝つかれない。不眠症になったらはやく病院に行って見てもらおうなどと考えているうちに寝てしまった。
 あくる日も例刻に学校へ行って講義を聞いた。講義のあいだに今年の卒業生がどこそこへいくらで売れたという話を耳にした。だれとだれがまだ残っていて、それがある官立学校の地位を競争している噂《うわさ》だなどと話している者があった。三四郎は漠然《ばくぜん》と、未来が遠くから眼前に押し寄せるようなにぶい圧迫を感じたが、それはすぐ忘れてしまった。むしろ昇之助《しょうのすけ》がなんとかしたというほうの話がおもしろかった。そこで廊下で熊本出の同級生をつかまえて、昇之助とはなんだと聞いたら、寄席《よせ》へ出る娘|義太夫《ぎだゆう》だと教えてくれた。それから寄席の看板はこんなもので、本郷のどこにあるということまで言って聞かせたうえ、今度の土曜にいっしょに行こうと誘ってくれた。よく知ってると思ったら、この男はゆうべはじめて、寄席へ、はいったのだそうだ。三四郎はなんだか寄席へ行って昇之助が見たくなった。
 昼飯を食いに下宿へ帰ろうと思ったら、きのうポンチ絵をかいた男が来て、おいおいと言いながら、本郷の通りの淀見軒《よどみけん》という所に引っ張って行って、ライスカレーを食わした。淀見軒という所は店で果物《くだもの》を売っている。新しい普請であった。ポンチ絵をかいた男はこの建築の表を指さして、これがヌーボー式だと教えた。三四郎は建築にもヌーボー式があるものとはじめて悟った。帰り道に青木堂《あおきどう》も教わった。やはり大学生のよく行く所だそうである。赤門をはいって、二人《ふたり》で池の周囲を散歩した。その時ポンチ絵の男は、死んだ小泉《こいずみ》八雲《やくも》先生は教員控室へはいるのがきらいで講義がすむといつでもこの周囲をぐるぐる回って歩いたんだと、あたかも小泉先生に教わったようなことを言った。なぜ控室へはいらなかったのだろうかと三四郎が尋ねたら、
「そりゃあたりまえださ。第一彼らの講義を聞いてもわかるじゃないか。話せるものは一人もいやしない」と手ひどいことを平気で言ったには三四郎も驚いた。この男は佐々木《ささき》与次郎《よじろう》といって、専門学校を卒業して、今年また選科へはいったのだそうだ。東片町《ひがしかたまち》の五番地の広田《ひろた》という家《うち》にいるから、遊びに来いと言う。下宿かと聞くと、なに高等学校の先生の家だと答えた。
 それから当分のあいだ三四郎は毎日学校へ通って、律義《りちぎ》に講義を聞いた。必修課目以外のものへも時々出席してみた。それでも、まだもの足りない。そこでついには専攻課目にまるで縁故のないものまでへもおりおりは顔を出した。しかしたいていは二
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