生ずる敬畏《けいい》の念を増した。そのうち人品のいいおじいさんの西洋人が戸をあけてはいってきて、流暢《りゅうちょう》な英語で講義を始めた。三四郎はその時 answer《アンサー》 という字はアングロ・サクソン語の and−swaru《アンド・スワル》 から出たんだということを覚えた。それからスコットの通った小学校の村の名を覚えた。いずれも大切に筆記帳にしるしておいた。その次には文学論の講義に出た。この先生は教室にはいって、ちょっと黒板《ボールド》をながめていたが、黒板の上に書いてある Geschehen《ゲシェーヘン》 という字と Nachbild《ナハビルド》 という字を見て、はあドイツ語かと言って、笑いながらさっさと消してしまった。三四郎はこれがためにドイツ語に対する敬意を少し失ったように感じた。先生は、それから古来文学者が文学に対して下した定義をおよそ二十ばかり並べた。三四郎はこれも大事に手帳に筆記しておいた。午後は大教室に出た。その教室には約七、八十人ほどの聴講者がいた。したがって先生も演説|口調《くちょう》であった。砲声一発|浦賀《うらが》の夢を破ってという冒頭《ぼうとう》であったから、三四郎はおもしろがって聞いていると、しまいにはドイツの哲学者の名がたくさん出てきてはなはだ解《げ》しにくくなった。机の上を見ると、落第という字がみごとに彫ってある。よほど暇に任せて仕上げたものとみえて、堅い樫《かし》の板をきれいに切り込んだてぎわは素人《しろうと》とは思われない。深刻のできである。隣の男は感心に根気よく筆記をつづけている。のぞいて見ると筆記ではない。遠くから先生の似顔をポンチにかいていたのである。三四郎がのぞくやいなや隣の男はノートを三四郎の方に出して見せた。絵はうまくできているが、そばに久方《ひさかた》の雲井《くもい》の空の子規《ほととぎす》と書いてあるのは、なんのことだか判じかねた。
 講義が終ってから、三四郎はなんとなく疲労したような気味で、二階の窓から頬杖《ほおづえ》を突いて、正門内の庭を見おろしていた。ただ大きな松や桜を植えてそのあいだに砂利《じゃり》を敷いた広い道をつけたばかりであるが、手を入れすぎていないだけに、見ていて心持ちがいい。野々宮君の話によるとここは昔はこうきれいではなかった。野々宮君の先生のなんとかいう人が、学生の時分馬に乗って、こ
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