セった時、女は顔を半分ほど三四郎の方へ向けた。そうして二重瞼の切れ目から男を見た。その目には暈《かさ》がかかっているように思われた。いつになく感じがなまぬるくきた。頬の色も少し青い。
「色が少し悪いようです」
「そうですか」
二人は五、六歩無言で歩いた。三四郎はどうともして、二人のあいだにかかった薄い幕のようなものを裂き破りたくなった。しかしなんといったら破れるか、まるで分別が出なかった。小説などにある甘い言葉は使いたくない。趣味のうえからいっても、社交上若い男女《なんにょ》の習慣としても、使いたくない。三四郎は事実上不可能の事を望んでいる。望んでいるばかりではない。歩きながら工夫している。
やがて、女のほうから口をききだした。
「きょう何か原口さんに御用がおありだったの」
「いいえ、用事はなかったです」
「じゃ、ただ遊びにいらしったの」
「いいえ、遊びに行ったんじゃありません」
「じゃ、なんでいらしったの」
三四郎はこの瞬間を捕えた。
「あなたに会いに行ったんです」
三四郎はこれで言えるだけの事をことごとく言ったつもりである。すると、女はすこしも刺激に感じない、しかも、いつものごとく男を酔わせる調子で、
「お金は、あすこじゃいただけないのよ」と言った。三四郎はがっかりした。
二人はまた無言で五、六間来た。三四郎は突然口を開いた。
「本当は金を返しに行ったのじゃありません」
美禰子はしばらく返事をしなかった。やがて、静かに言った。
「お金は私もいりません。持っていらっしゃい」
三四郎は堪えられなくなった。急に、
「ただ、あなたに会いたいから行ったのです」と言って、横に女の顔をのぞきこんだ。女は三四郎を見なかった。その時三四郎の耳に、女の口をもれたかすかなため息が聞こえた。
「お金は……」
「金なんぞ……」
二人の会話は双方とも意味をなさないで、途中で切れた。それなりで、また小半町ほど来た。今度は女から話しかけた。
「原口さんの絵を御覧になって、どうお思いなすって」
答え方がいろいろあるので、三四郎は返事をせずに少しのあいだ歩いた。
「あんまりでき方が早いのでお驚きなさりゃしなくって」
「ええ」と言ったが、じつははじめて気がついた。考えると、原口が広田先生の所へ来て、美禰子の肖像をかく意志をもらしてから、まだ一か月ぐらいにしかならない。展覧会で直接に
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